東京オリンピック組織委員会の森会長が、女性蔑視の発言をして、謝罪に追い込まれました。しかも、その謝罪が物議を醸し、これまた大炎上。。。
発言の内容をかいつまむと、会議に参加している女性は、男性と張り合って意見を言おうとするので、話が長くなる…ということですね。
筆者も、様々な場面で男女による違いは存在すると思います。しかし、森会長の発言が問題となったのは、これを「違い」ではなく、「差」として扱った態度にあると考えています。
違い:
性別、人種別、文化別などで、考え方や態度が異なること。
優劣や上下という立ち位置はなくて、皆が平等に権利を持っている状態。
ただ、違うだけ。差:
これらの違いを、優劣/上下の関係で見てしまうこと。
一方は正しい、もう一方は悪いと決めてしまうこと。
筆者は、個人的に男女(性自認や性的思考による違いを含む)は「同権」。
男女は、ともに同じ権利と責任を有していると考えています。
もっと言うと、男女は「地球に住んでいる人間」であり、その性別は国や人種、宗教などの違いと同じだと思っています。
一方で、男はシングルタスク(同時に、複数のことができない)、女性はマルチタスク(同時に、複数のことができる)と耳にしたことがあります。
その由来は、原始時代における男女の役割の違いにあるのだと、昔読んだ『話を聞かない男、地図の読めない女』(著:アラン・ピーズ/バーバラ・ビーズ)に書いてありました。
男性:
食料を求め猛獣を狩るとき、一瞬の油断が命取りになるから、一点集中型な
脳の仕様となっている。
女性:
子供を育てながら、周囲の環境に危険が潜んでいないか、目の前の木の実は
安全かどうか、常に複数の対象に関心を向ける脳の仕様になっている。
女性と話をしていると、話題が豊富で、いつの間にか時間が経っていた、というケースはよくあります。これは、上述の違い、つまり「複数の対象に関心を向ける」という、女性の特徴がよく出ているのではないか、と思います。
ただ、会話に「結論」という一点を求める男性とは感性が異なるので、結局何が言いたいのかわからない…ということが男女間では起きやすいのも事実です。
なにかに気づきやすいから、予定調和で一辺倒な議論になりやすい男同士の会話に、女性の発言が一石を投じやすいし、議論が活発になりやすい。
森会長が、「女性だからこそ、色んな話題が飛び交う」と理解していたら…。「差」による「差別」ではなく、「違い」による「特徴」だと気づけていたならば、ここまで問題になることはなかったのではないかと思います。
この違いを把握していたら、女性ならではの視点を生かすチャンスが生まれるかもしない。そんな、男女「同権、非同質」な世の中になってほしいですね。