水を汲み、火を焚き、人や土と触れ合う。
草創期からの生活の要。
例え都市生活でも、香を焚いたり雨を浴びたり、仲間とキャンプなどで水を汲み火を囲むことは、草創期、つまり神話時代が今も続いているという祝いかもしれない。
しかし、どうしても世界から隔絶されているような感覚になってしまうとき、
私は山で湧水を汲み、街で生の人間とすれ違い、どこかのビルに、まるで局所的な熱帯林のようにポツンと生きている観葉植物にこっそりと少しだけそそぐ。まるで不審者だ。
しかしその不審な行為によって、その日のその瞬間は少なくとも、生きているという事実を確認することができる。山奥で一人誰のためでもなく水を汲んでいる孤独と、街を用もないのに歩いている孤独との、化学反応。
つまりそのビルに出入りする人や街ですれ違った人間を、同じ森で生活する仲間として認識することができる。
少し病的かもしれないけど、木火土金水や人や都市と調和した生活をつくっていくための、祈りでもある。
林道の先にひっそり湧く水と、雑居ビルの隅に置かれた観葉植物に、秘密の通路を開通する工事でもある。