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「パパ、秋の連休はどこに行く?」
娘はすでに中学1年生。
にも関わらず、私との休暇を楽しみにしてくれている。このまま育ってくれ。頼む、お父さんくさーい!なんて言わないでくれ。
そんな思いを隠しながら微笑む。
「そうだなぁ、近場なら海外でもいいぞ」
私は某SIerの営業部長。
自分で言うのもなんだが、社内では「最速昇進の男」として名をはせている。
そりゃそうだ。
なにせ入社から一度も売上目標を未達したことがない。むしろどうやったら未達になるのか、教えてほしいものだ。
そんな私にも大きな転機が現れた。
これまでは花形事業部で営業を続けていたが、ついに事業部をまたぐ異動だ。固定のお客様とのお付き合いから、比較的新規開拓が多い事業部へ。
花形事業部については、「ぬるま湯」「顧客との関係がズブズブ」「売上がたって当然だ」などと言う者もいたようだが、ただの嫉妬だろう。私の働きでこの会社が持っていることに感謝してほしいものだ。
部下である課長から、営業の状況を聞く。
大幅なコストカットに対応するために、パッケージソフトを提案するとのこと。これまで私は機能追加とリプレイス(※)の営業しか対応したことがないが、、、新規だとこういった提案も多くなるな。
「とはいえ、少し要求が多すぎる気が」
営業課長が顔を曇らせる。
これだから若造は困る。
お客様というのは要求が多いものだぞ。
「開発チーム作りも難航してまして」
「もう少しリスクを減らしたく、、」
弱音をはき続ける営業課長を前に、思わずため息が出る。
これだから新規案件は不安定なんだ。
システム開発は、開発プロジェクトごとにチームが流動的に作られるイメージを持つ者が多い。だが、それは新規案件ばかりこなす自転車操業事業部がやること。
固定の顧客に固定の開発メンバー。
これこそが一番効率がいいに決まっている。システムの機能追加を継続受注できれば、おのずと安定していく。今回の案件は少し割をくってもいい。誠心誠意対応し、長期の関係に持ち込もう。
「リスクはとってこそだよ」
暗い顔をする課長に、短く回答した。
時は流れ、8月は末。
「まだ契約の締結が終わらない?」
報告に顔をしかめる。
開発範囲で揉めてる?
コンペは直前の価格変更ですんなり通った。だったら、提案内容をそのまま契約書に落とせばいいのではないか?言い訳を繰り返す課長を前に困惑する。
「先方も部長クラスが出てくるんです、お願いします!」とのことで、結局私も駆り出された。嫌な役回りは上司が受けて立つ、これは社会人としての常識だからな。
タクシーから東京湾を眺め、
娘との約束を思い出す。
今日、契約の方針が固まれば、すぐにプロジェクトは私の手を離れるだろう。
韓国くらいなら行けるか。
穏やかな笑みを浮かべる営業部長を、
タクシーは運んでいく。
静かに始まる地獄へと。
MALIS
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※リプレイス
既存のシステムを再構築すること。システム更改ともいわれる。長期でお付き合いのある顧客とは、システム機能追加を定期的に行いつつ数年単位でリプレイスを行う。このサイクルを外さなければ、営業は安定した売上げを確保できる。