祖母は苦労人だった。
幼い時は空襲で逃げまどい
戦後は家の商売を切り盛りし
子供を育て、自分の時間などないままに老後を迎えた。
優しい人だったけど、年相応に認知症になり、私の名前はすっかり忘れてしまった。手がかかるようになり介護施設に入った。
ある日、祖母にちょっとした報告があり施設を訪れた。
とはいえ既に私が誰かもわからない祖母。
口にするのは、戦時の話。
「大変な時代だった」
消えそうな声で言う。
いろんな話を聞いた。
あの人の恋人は空襲で亡くなった。
食べ物がなくていつもお腹がすいていてね。
次に死ぬのは自分なのかなって。
1時間ほど滞在し、帰ろうかなと席をたつ。
理解はしてもらえなかったけど報告はした。
区切りはついた。
ドアの前まで行ったときだ。
「あなた」
凛とした声で祖母が私を呼ぶ。
背筋がゾクッとし、振り返る。
私を「あなた」と呼んだことなど、
一度もなかったのに。
「あなた、自分の人生を生きなさい」
私の目を見据え、祖母は言う。
「他人の人生を生きては、駄目よ」
あまりのことに動けない。
一体、彼女は何を言っているのか。
いや、彼女はいったい誰なのか。
凛とした声で私に告げた祖母は、まだ動けずにいる私から視線をそらし、すっと体を丸め遠くを見る。「あー、ほら、お皿が積んである、、片づけなきゃ」弱弱しい声で呟いた。
しばらく突っ立ったままだったけど、ふと我にかえる。「じゃあ帰る、また来るね」とだけ言って部屋を出た。
何だったんだろうーー。
帰りが遅くなってしまった。薄暗いバスの中で考えるけど、胸につっかえたものが不透明すぎる。その感情が何なのかもわからず、流れる木の影と灰色の空のコントラストを眺める。受け取った言葉の意味を考える。
祖母は私に何を言いたかったのかーー。
考えは纏まらなかった。
数か月後、
私は彼女に告げた自分の決断を覆す。
そして、彼女の言葉の意味を知る。
「他人の人生を生きるな」
その言葉の重みを知る。
それは単なる偶然だったのか、
今でもわからない。
けれど、彼女がくれた言葉は、あの時の私が受け止めるべき言葉だった。あの後の私が噛み締めるべき言葉だった。
たぶん偶然だったんだろうな。
それでも、彼女の言葉をふと思い出す。
そこに、彼女の生き様がある気がするから。
MALIS