今、有難いことに、生活の中で様々な境遇の子どもたちと時を過ごしています。
色んな環境に置かれている子どもたちを見ていて、
子どもたちにとって生まれてくる家庭なんて、自分では選べないからこそ、
どんな環境に生まれたとしても、
子どもたちに必要な“環境”(教育)
って、なんだろうな、ということを改めて考えています。
比較してしまえば、良い環境なんて、
上を見たらキリがないし、下を見たらキリがないです。
そして経済的・物質的な豊かさが、
“良い”とはやっぱり必ずしも言えなくて、
塾に通えて“学力が高い”ことが“良い”とも言えないです。
どんな環境に生まれても、子どもたち自身が、
“幸せ”とか“感謝”を感じられる心
が育まれることが大切だと感じています。
それはキレイごととかでなくて、
感謝できると、幸せを感じられると思っているからです。
そして感謝することができれば、感謝される側ができて、
幸せが循環するな~と思います。
これを育むためには、
こういう時には感謝しよう
とか、
思いやりの気持ちをもとう
とかいう教えを何度も何度も刷り込むことが大切なのではなく、
近くに居る大人が、どういう姿勢を子どもたちに見せるか
が大切なのではないかと思っています。
それがきっと、どの時代も変わらず子どもたちに与えられている、“教育”なんじゃないかと思います。
だから子どもたちの傍にいる大人がどう生きているかがすごく重要で、
子どもたちにはこうあって欲しいとか、
そういう気持ちがあるならばまず自分がそうあるべきで、
シンプルに、それってすごく大切なことだと思います。
だからゼロ学では、子どもたちの生きる場を考える上で、
大人がどう生きているか
ということが非常に重要なことだと捉えています。
子どもたちは、大人の姿を見ています。
大人がズルかったり、どうせ無理と思っていたり、
そんな姿を見ては、がっかりしています。
だから私は、
今巡り合うことが出来た子どもたちを前に、
直接会う時も、オンラインで画面越しでも、
その子が人生で出会った大人の一人として、
自分の姿勢を大切にしています。
どんな境遇の子どもたちにも共通して必要な教育のあり方として、
子どもたちの傍にいる大人の生き方・姿勢
これはすごく、大切なことだと思っています。
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2019.7.28.
ちょっと遡って、7月のブログ。
ゼロ学、今も月に一度活動が続いています。
始まりは、こんな思いからスタートしています。
子どもたちに、
どんな姿を見せるか
子どもたちに、
どんな環境を用意するか
これが、教育だと私は思っています。
そこからどうなるかは、
子どもたち自身のみ選べるもので、
誰が口出しするものでも、
レールを用意するものでもない。
それが、必要なガッコウの在り方なんじゃないかと思っています。
完全に迷走中の今、想いだけはいつも確かです。笑