人はとても多様で、誰一人“同じ”には生まれてこない。
でも、“学校”というところを9年間、
あるいは12年間通過した後はどうだろう。
出る杭は打たれて、“成績”によって序列化される。
成績によって“学校”が決まり、
そして“学歴”によってその後の人生が格付けされてきた。
できるだけみんな同じレベルになるように、
均一化されてしまう。
学校は工場で、教育は工業になってしまっている。
でも、本当は、
学校は農場で、教育は農業に近いんじゃないかと思う。
水や肥料を与えることは出来ても、
そのものの生命力によって育つ。
日によって、農作物の見せる表情は違う。
私たちにできるのは、
農作物自体に共感しながら環境を整えること。
それしか出来ない。
とっても形がきれいなものがあったり、
めっちゃ不揃いのものが出来上がったりする。
それはとっても自然で当たり前のこと。
それでいい。
教育は、
子どもたちを同じ製品にするのではなくて、
子どもたちが育つ環境を整えること。
育った結果どんなものになるかなんて、
私たちには分からない。
それでいい。
“あるべき形”というのは、
どこかにある“理想”を追い求めるわけではなくて、
作りながら、発見していく。
その時点では誰にも分からないもの。
そんなことを思い巡らせていたら、
尊敬するアインシュタインの言葉が浮かんできた。
“人間は馬を愛するように車を愛することはできません。
馬は車と違って、わたしたちの内面の人間らしい感情を引き出すからです。”
この言葉の通りで、
子どもたちは、
私たち大人の内面の人間らしい感情を引き出してくれる。
本当にそう。
私は生徒たちに、何度助けられたことか。
学校は工場じゃない。子どもたちは製品じゃない。
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2019.6.9.
“教師と生徒”という立場でなくとも、
“教育現場”でなくとも、
二人いて、お互いに一人の人として尊重し合えば、
互いの感情は引き出されていく。
educationは、“教える”ではなく“引き出す”。