12月7日(月)
中学生と過ごしていて、勉強になることがたくさんあります。
中学1年生~中学3年生
と、
私がこれまで見てきた
高校1年生~高校3年生
では、
成長の変容の様子が全く違います。
実は中学校と高校って、
だいたい同じようなイベントをするし、
集団の形成の仕方も
部活や委員会とか、
なんとなく似ています。
でも、
改めて中学校の「日常」の入る機会を頂いて、
「全く違う!(; ・`д・´)」
と感じています。
思い起こせば、
高校1年生で、中学生を引きずっていた子も居たとも感じます。
これは、
その子の成長のタイミングであって、
その子の成長の背景にあるものも関係しているから、
“悪い”ということでは1ミリもないです。
でも、
こうやって、
中学生、高校生、と表現してしまうと、
中学生らしさ
高校生らしさ
みたいな概念もできて、
多数派のスピードの許容範囲外になってしまう子が、
劣等感を感じずにはいられなくなる。
こんな劣等感は感じさせずに、
もっと伸び伸びと、
その子の人生のタイミングを大事に出来る所でありたいよなあ、学校。
と感じずにはいられないのでした。
成長って、興味深いなあと思います。
で、今日の本題はココから。
いわゆる中学から高校、
エリクソンで言うところの青年期に立ち向かうべき心理社会的危機は
アイデンティティー対アイデンティティーの混乱
と言われています。
「自分って何だろう」
に立ち向かう時期です。
最近勉強した中で、
アイデンティティと、居場所って関係してるよねってことが書いてありました。
アイデンティティが混乱することは、
人が直面する発達課題です。
そしてアイデンティティの形成は、生涯続く発達課題とも言えます。
でも、
その確立は子どもの時代の最終段階である青年期に成し遂げられるべき心理的課題なのだそうです。
ここに、居場所が関係していて、
自分の存在を考える為には、
安心できる居場所が必要。
安心して、
将来の悩みを吐き出せたり、
自分らしさを考えられる場所が必要。
そんな安心できる場所で、
自分のことを見つめ直してこそ、
自立できるようになる。
前に受けたSIAの講座で
「自立とは、依存先を増やすこと」
という言葉を知りました。
すごく心に残っています。
まさにこのことと繋がって、
いわゆる、
居場所とは、
安心して依存できる場所、とも言えて、
その安心があってこそ、
人は、自立できるんだろうな、
と改めて感じたのでした。
人に迷惑をかけてはいけない、
と、安心できない社会では、
人々が逆に自立しないのだろう、
そんなことも感じました。