
ボクのおとうさんは、
桃太郎というやつに殺されました。
一方的な「めでたし、めでたし」を、生まないために。
広げよう、あなたがみている世界。

悪者とされる漫画のキャラクターにも、
家族があって、悲しみがある。
悪者を決めることは、
誰かにとっては、自分の正義を証明できたり
どうしようもない悔しさがその時少し軽くなったり
そういう意味では良いかもしれないけれど、
それで終わってしまっては、
世界中で起こる悲しい出来事の、
その悲しみの意味が無いと思う。
そこから何を感じ、
本質を見極めて、
より良い方向に進むために、
その悲しみが繰り返されないために
その現実はある。
ただ悲しいだけの出来事にしない為に、
どうするのかは、その後の行動次第。
私は
学校が悪いとか
教育が悪いとか
そういうことを示したいわけでは無くて、
この日本で既に起きてしまっているたくさんの悲しい出来事を
ちゃんと見て、受け止めて、
本質的によりよくしていく努力をする。
その第一歩が、4月にスタートする新しい学校。
でもどうか、
今、子どもたちの側で生きる全ての大人
そして先生方は
子どもたちの可能性を奪うような言葉だけは口にしないでと心底思う。
「そんなことひどいことを言う先生が悪い」
と大人が騒いでも、
傷ついてしまった子どもの心は、
もう、傷ついてしまっている。
私はまだ、
何も生み出せていないくせに、
という言葉が飛んで来ても仕方ないけれど、
どうか今現場で、
子どもたちに寄り添える場所にいる先生方は
子どもたちの安心を確保して
挑戦を見守り、支えて欲しい。
誰も子どもたちを苦しめようなんて思って先生になったわけではないはず。
本来、先生になろうと思ったその気持ちや、
先生という仕事の意味を感じて、
子どもたちに接することが出来たらと思う。
ボクのおとうさんは、
桃太郎というやつに殺されました。
一方的な「めでたし、めでたし」を、生まないために。
広げよう、あなたがみている世界。
※これは、2014年に話題を呼んだ、新聞広告クリエーティブコンテストの受賞作品のコピーです。
**********************************
2020.2.8.
悔しい出来事があったとき。
どうか、どうか、という思いで書いたブログ。










