今日は朝からこのトピックが頭から離れない。
“社会に出たら”という言葉。
これまでたくさん口にしてきた気がするし,
たくさん耳にしてきた。
でも、ふと考えてみた。
“出る”という表現があるということは出口がある。
その“出口”って,どこだろう。
学校卒業?
とするならば、学校という言葉の意味は、“学ぶ場所”ではなくなってくるような気がする。
単なる、ある年齢まで行くところ。働き始めるまで行くところ。何か資格をとるところ。という程度だろう。
そして同時に社会という言葉の意味は、働いてお金をもらう、という意味合いになるだろう。
これもまた、“勉強はなぜしなきゃいけないの?”と同じで、
教育の失敗のような気がする。
私は、
学校と社会は、本来は分かれていないと思っている。
学校は、“学ぶ場”で,
社会は、“人が集まって生活を営む場(集団)”だと思っている。
そして、
生まれた時からみんな、社会の一員であり、
死ぬまで、たくさんのことを学び続けられる。
だから私の中では、
学校も社会も同時に存在していて、
学校と社会を分断しないことは極めて重要なことのような気がしている。
未来は今も来続けてる。
こうありたいと願う社会の在り方を、
今、ここに実現することが大切で、
子どもたちが笑顔で生きる未来を、
今、ここに実現したい。
これは私が、新しい学校創りで、大切にしたいことの一つ。
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2019.6.13.
「学校ってなんだろう。」にとことん向き合っている。
ここでは“学ぶ場所”としているけど、
イコール、“遊ぶ場所”であって、
子どもも大人も、一生遊んで、学び続けられる。
だから、いつまでたっても、どこにでも、
学校ってある。