世界中のどこに産まれても、
子どもたちにとって、教育は必要なもの。
物質的には豊かな日本。
物が足りない開発途上地域。
日本の教室では、
授業がつまらなくて、退屈で、
うなだれている子どもたちも居る。
世界中には、その場すら無い国もある。
だから途上国には、
学校が必要で、教科書が必要で…
イコール教育が必要。
ではなくて、
世界中に産まれてくる子どもたちはどこに産まれたとしても、
一人の命として大切にされ、愛され、
自分の人生を輝かせていい。
その愛されるべき世界中の全ての子どもたちに
必要な【教育】はやっぱり、
根本的には同じだと思っている。
じゃあ改めて、
世界中の子どもたちに必要な 【教育】ってなんだろう。
って考えたときに、私なりの答えは、
子どもたちが心から
“学びたい” “知りたい”
と思ったときに、
挑戦し失敗することで学び続けられる環境。
大切なのはあくまでも、
子どもたちが学びたいと思う
そのかけがえのない瞬間を、
大人の都合で、消してしまわないこと。
そして子どもたちは、
必ず好奇心をもって産まれてくる。
最初から諦め方を知ってる子なんて居ない。
【教育】は、
たまたま先に生きている大人が、
必要だと判断したことを
教え込むことではないのだと思う。
“大人が”必要だと思ったことではなく、
“子どもたちが自分で”必要だと思うことを、
学びたい、知りたい、
その瞬間に学べる環境(言葉、人、物、場)
を整え、与えることが、
先生や大人、そして教育の役割なのかもしれない。
だから、物が足りていても、
子どもたちの目が輝かないのであれば、
教育を見直さなければいけない。
先生の存在は、風のようなもの。
世界中の全ての子どもたちが
学びたいと思ったときに、
安心して、安全に学べる環境を作りたい。
そして、世界中のどこに産まれても、
みんなが、自分自身を最も輝かせる色で輝ける世界に。
これも、私の夢の1つ。
まずは、ここ仙台から。
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2019.5.10.
全国のサドベリースクール見学をさせてもらう中で、
教育って、学校って、なんだろう。
そんなことを深く考えさせられる日々の中で書いた記事。
色んな事を吸収して、見えなくなることもあるけど、
根本の想いは変わらない。
そして、それが私のVISIONなんだと感じる。
みんな、自分らしく生きて良い。