
2月21日(月)
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高校数学教師(宮城県)を退職し、全国のデモクラティックスクール、北欧デンマークの教育を学んだ後、仙台から教育革命をしている伊藤真結です。
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2020年4月からAKIU SCHOLĒ(アキウスコレー)という
新しい学校🏫を仙台市秋保町に創っています。全日制の学校に行っていても、通信制高校に行っていても、不登校でも。
全ての中高生が、自分の選択で自分の人生を切り拓く力を育みます。
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今日からまた月曜日。
1日、風の強い寒い日でした。
そんな日でも、散歩からの始まりです。🚶♀️
さて、タイトルを観て、
「あ・・・!」
と思った人も居たかと思いますが・・・
鬼滅の刃遊郭編の、
妓夫太郎の言葉から、
ここ数日、心にずっしり感じていたことを書こうと思います。
(※一部ネタバレあります)
▽
鬼滅の刃のことは、
2020年にさらっと記事にしていました。
この記事を書いたのがもう2020年のことなのか・・・
と驚きます。
私は、
漫画「鬼滅の刃」は読んでいません。
鬼滅の刃に限らず、
映画、漫画、アニメ、ドラマ、
その類は、日常的に観る方ではないです。
何を観るにしても、
感情移入が過ぎることと、
“時間がかかる”ことが自分で分かっているので、
気合を入れないと手を出せません。
ですが、
こと、鬼滅の刃に関しては、
母もドハマりしていることもあり、
先日までやっていた「遊郭編」も、
アベマで観ていました。
その最終回を観て、
しばらく感情が持っていかれています。笑

同時に、
すごく考えさせられていました。
▽
鬼滅の刃の主人公の炭治郎は、
貧しいけれど、家族で幸せに暮らしていて、
ある日突然、家族全員を鬼に殺され、
妹を、鬼にさせられました。
それでもまだ少し息のある妹だけは救いたいと、
雪の降る中、妹を抱えて走り、
出会ったのが、鬼殺隊の1人でした。
今回、遊郭編で炭治郎たちと戦った鬼である
妓夫太郎と梅(堕姫)も、兄妹でした。
妓夫太郎は、
遊郭の最下層である「羅生門河岸(がし)」というところで生まれ、
貧しく、とても劣悪な環境の中で育ちました。

妓夫太郎には、頼れる人間は誰も居ませんでした。
でも、妹の梅が生まれて、2人で前向きに生きていける気がしていた矢先、
たった一人の味方であり生きがいである妹の梅が、
人間によって、生きたまま焼かれてしまいます。

瀕死の梅を抱きかかえ、
雪の降る中出会ったのが、
上弦の鬼の1人でした。
とても似ているシチュエーションで描かれています。
でも、その生い立ちと、
最も辛いときに救われた“出会い”が対照的です。
炭治郎は、人の愛情に包まれていたけど、
妓夫太郎は、人の愛情に触れることはなかった。
そして、
炭治郎は鬼殺隊に救われ、
妓夫太郎は鬼に救われました。
そんな2人のセリフがまた印象的でした。
▽
家族を殺され、妹を人喰い鬼にされた第1話で、
炭治郎がこんなセリフを言っています。
「生活は楽じゃ無いけど、幸せだな。
でも人生には、空模様があるからな。
うつろって、動いていく。
ずっと晴れ続けることは無いし、ずっと雪が降り続けることもない」
そして、
遊郭編の最終話の回想シーンで、
妹を焼かれ絶望した妓夫太郎のセリフは、
「誰も助けちゃくれない。いつものことだ。いつも通りの俺たちの日常。
いつだって助けてくれる人間はいなかった。
雪が降り始めた。
どんな時だって全てが俺たちに対して容赦をしなかった。
どうしてだ? “禍福は糾える縄のごとし”だろ。
良いことも悪いこともかわるがわる来いよ」

▽
炭治郎が空模様、と言って表現しているそのセリフも、
妓夫太郎が言った、「禍福は糾える縄の如し」
という言葉と同じ意味を持ちます。
良いことも、悪いことも、
どちらもあるのが人生だと思っているのは同じだけど、
妓夫太郎の場合は、
育った環境の中で、
圧倒的に、「人」に対して絶望していました。
炭治郎も妓夫太郎も、
被害者ですが、
2人が対照的な人生を歩むのは、
ここに大きな差があるように感じています。
ここで改めて、
以前ブログで引用した精神科医の先生の表現が、
ぴったりはまります。
「鬼滅」とは、「正義の被害者(柱)」が「闇落ちした被害者(鬼)」と戦う物語です。
もとは炭治郎と同じく妹想いのお兄ちゃんです。

でも、「禍福は糾える縄の如し」
とは到底信じることが出来ない程、
妓夫太郎を苦しめた世の中、人間が、
妓夫太郎を鬼にたらしめたのだろうと、
そう思うと、
きっと今、
禍福の、禍(わざわい)の中に居る子どもたちが、
きっと良いことがある、
と、小さくともその希望が持てる世の中や大人の姿を、
つくっていかないといけないなと、
ここしばらくずっと考えていました。
そしてまだしばらく心がずしっと重そうです。笑
▽
ということで、
脳みそも心も大忙しです。
妓夫太郎は、
自分が梅と一緒に居なければ、
もっと良い人生を歩めたんじゃないかと最後に言っていました。
そういう優しさを持つ妓夫太郎だから、
美貌だけが全ての価値基準の遊郭だったとしても、
妓夫太郎に愛情を注ぐ人が1人でも居れば、
それこそ、
変わっていたんじゃないかと思います。
妓夫太郎も梅も、
マンガの中とは言え、
成仏できますように・・・
と思います。
今日も、読んで下さって、ありがとうございました。(*^^*)










