
この間、真面目も休み休み言え、という言葉を紹介しました。河合隼雄先生の言葉です。その時に読んだ記事で、素敵だな、と思ったところがありました。
〈なにもしない〉ことに全力を注げ 生きている〈あなた〉一人ひとりを見つめつづけた臨床家|京都大学広報紙
河合隼雄先生のもとで学んだ、皆藤 章先生の記事です。
皆藤先生が、いくら本を読んでもわからない事例に遭遇した時のこと。河合先生を尋ねたら、こんな言葉が返ってきたのだそうです。
読んだ本のなかに、目の前のクライアントはおったか。そういうこっちゃ。じゃ、忙しいから。
本当にそう。どれだけ本を読んでも、勉強しても、その知識に当てはめるように、目の前の子どもたちを見ないこと、これはとても大切なことだな、と思います。とにかく話を聴くことに徹して、彼らの語りから学んで考えろ、というのが、河合先生の教えであり、皆藤先生の原点なのだそうです。
また、こんなことも書いてありました。
「臨床家は〈なにもしない〉ことに全力を注げ」。河合先生には、ことあるたびにそう教えられた。わかってはいても、「この人はこれで苦しんでいる」、「これにはこういう意味がある」と、いつのまにか既存の理論にはめこんでしまう。「語り手の意図は、聴き手の受けとり方しだいで変わってしまう。だから、語り手がどうしてそのことばを語るのか、真剣に見つめなければならない。意図どおりに受けとることができれば、クライアントはかならず変わる。いまようやく、そうわかりかけてきた。でも、まだまだ足りないね」。
“なにもしない”ことに、全力を注ぐ。
なかなか難しいけど、これもまた、本当にそうだな、と思ったところでした。
聴く、というのはなかなか難しいことです。その人の言葉を受け取ったとき、皆藤先生のおっしゃるように私たちは自分の経験から、「この人はこれで苦しんでいる」「こういう意味がある」とはめこんで受け取ってしまいます。
分かってはいても、なかなか難しい。
これもある種、生きる過程で築かれた自動思考だし、毎日会う友人や家族なら、これが良く機能することもあるから、一概に悪いコミュニケーションではないのだけど、生徒たちと話すときは、一旦真っ白にする。
目の前にいるのは、本の中に出てきたA子でもなければ、何年か前に出会った教え子のあの子、でもない。
似ているな、と少しよぎっても、まったく違う人生を歩んできて、違う経験をしてきた、その子であることを大切にする。
子どもたちの声を聴くとき、これまでの自分の経験から得た知識を、アンラーンし続ける。
河合先生や皆藤先生とはまた違う“現場”ではありますが、教育現場でも大切な事柄だと感じました。
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あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。











