18歳の時母親が
ガラス版に書かれた文字を
フィルムに焼いて文字起こしする
写植と言う仕事をしてた。
俺が工芸高校に通ってた時
グラフィックアート科だった俺は
この写植と言う仕事の事も学び
どんなものだかよく知ってた。
でも既にワープロが出て来てて
写植と言う物自体無くなりそうで
学校で最後のアナログ式の
文字制作機だと教わった事がある。
( *゚ェ゚))フムフム
実際俺の家にも
キヤノンのワープロ専用機があり
どう考えても写植なんて時代遅れで
確実になくなる産業だと解ってた。
しかしワープロの文字は
何か曲線が凸凹して写植と比べると
全く凸凹してない写植の字の方が
明らかに綺麗な字だった。
それを見てワープロでもPCでも
文字が四角いドットの組み合わせで
どうしても凸凹が残り写植の様な
綺麗な字にならない事を知ってる
なのでこの人類最後の
アナログ文字起こし機の写植が
なくならない方が良いと感じたが
この頃既に仕事がかなり減ってた
(´・д・`)ショボーン
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写植の仕事の全盛期は
毎日睡眠時間が2時間位になるほど
仕事量がものすごく多くてたまに
寝ずに仕事をして終わらせてた。
しかし文字起こしの仕事は
だんだんワープロが主流になり
綺麗な字だけどコストが高い
写植の仕事が無くなってきた
どうやら人類は
昔の字が潰れてる活版活字でも
字が読めれば全然良いみたいで
字の綺麗さを全然気にしないらしい
なので字の綺麗さを究極まで高めた
写植の字でなくても良いらしく
あのワープロの凸凹文字でも
全然平気みたいだった。
ヽ( ゚д゚ )ノゼンゼンヘイキ
この頃の既に印刷機は
ワープロ文字をフロッピーに保存し
そのフロッピーを印刷機に入れれば
印刷開始できる物が出始めてた。
そんな時代のあおりを受け
とうとう写植の仕事が無くなり
我が家にあったどでかい写植機を
撤去する事になってしまう。
でもこの時の母親は
全然名残惜しそうな感じじゃなく
何かの呪縛から解放されたような
とても嬉しい顔をしてた。
( ´ー`)フゥー...
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写植気が無くなった事で母親は
何だかとてもホッとしたようで
「もう絶対写植なんてやらない」
そう言って喜んでた。
この事からきっと母親は
写植の仕事がものすごく大変で
悪霊の呪縛から解放されたような
爽やかな気分になったのだと思った
その後しばらく母親は
燃え尽き症候群みたいになってて
家事以外何もする気が無く
いつもダラダラしてる。
(*´Д`*)アア
少したちやっと
何かする気になったみたいで
編み物を初めて俺のセーターを
1度に4つ位作ってくれた。
ある時俺がこの先の時代
パソコンの時代になるから
「ワープロでキーボードに慣れ
新しい仕事始めれば?」と提案した
すると母親は
「もう字なんて見たくないから
パソコンもワープロもヤダ」と言い
完全に文字嫌いになってる。
その代わり旅行や編み物や
選挙活動などの別の趣味を見つけ
みんなで集まり酒を飲んで騒いで
ずっと外に出っぱなしになった。
・.*:+:(ノ'∀`*):+:*.・ウィー