4歳の時。
お婆ちゃんが住んでいる家に、たまに遊びに行っていた。
俺は、お婆ちゃんが大好きでいつも遊びに行きたいとねだっていた。
お婆ちゃんが住んでいた場所は、荒川区町屋。
ここには、都電が走っている。
この頃の町屋駅は、駅前商店街が都電の駅と一緒になっていた。
一緒と言うか、商店街と都電の駅がドッキングしていた。
商店街の1店舗が、都電の駅になっている感じだった。
商店街の建物は、みんな木造で古く戦後のような建物が並んでいた。
ここの空間だけは、昭和20年代の世界がそのまま残っていた。
荒川区は、駅前なのに全く近代的に開発してない状態。
貧乏人が集まってできた、下町の中の下町だった。
地面は、どこもたばこが投げ捨てられて散乱している。
更に空き缶や、空き缶のふたがそこら中に散乱している町だった。
もちろんガムも、地面を埋め尽くすかのように捨てられている。
そんな街だった。
都電の駅がある商店街の一角に、駄菓子屋みたいなプラモデル屋があった。
そこには、結構新製品のプラモデルが置いてある。
ガンダムや、宇宙戦艦ヤマトや、銀河鉄道999、と言ったプラモがあった。
中には、軍艦や、零戦や、戦車のプラモデルもある。
このプラモデルが、所狭しと山積にされていて陳列なんてされていない。
そんなお店だった。
おばあちゃんに会いに来ると、いつもこで1個プラモを買って貰えた。
買う物は、大体100円の宇宙戦艦ヤマトのプラモデルだった。
当時、サイズは凄く小さいが、ヤマトのプラモデルが100円だった。
そのプラモデルを買って、いつもお婆ちゃんの家に向かった。
そしていつも、おばあちゃんがそのプラモデルを作ってくれる。
おれは、だんだん完成していくのが面白くて、じっと見つめていた。
そして、15分位で完成させていた。
出来上がったプラモデルは、凄くカッコよく見え俺は嬉しくてたまらない。
俺は、興奮してそのプラモでよく1人遊びをしていた。
おばあちゃんの家に行く時、毎回このプラモを買ってくれていた。
お陰で、宇宙戦艦ヤマトのプラモデルも結構たくさんたまって来ていた。
ある時お婆ちゃんは、ヤマトは本当に存在した船なんだと話してくれた。
そして、1冊の本を持って来て実物の大和の写真を見せてくれた。
それを見た時、宇宙戦艦ヤマトとはだいぶ違う形をしていたのに驚いた。
俺は、この時初めて宇宙戦艦ヤマトの第1話に出て来た場面が理解できた。
宇宙戦艦ヤマトは、この写真の戦艦を改造した物だと解った。
本当に実在していた事が嬉しくて俺は、ヤマトがますます好きになった。
更に、お婆ちゃんにヤマトの事を聞いてみると、沈められた船だという。
こんな巨大な船を沈むなんて、どんな攻撃をされたのか想像できなかった。
そして、どんな大きなミサイルを撃ち込まれたのか不思議に思った。
その事を聞いてみたら、無数のミサイルで沈んだと話してくれた。
大和は、1隻だったけど強いから沢山の攻撃が必要だったらしい。
俺は、アニメで見ているヤマトが強いのは本当だったんだと感心した。
でもお婆ちゃんは、このアニメに米軍から苦情が来ないかと心配していた。
俺は、この頃から戦艦のプラモデルが好きになって行った。
でも、実際に存在した戦艦ではなく、アニメの戦艦だった。
当時は、宇宙戦艦ヤマト以外にも戦艦アニメがあった。
宇宙空母ブルーノアや、アルカディア号とかあった。
それらのアニメに出て来た、敵船感も好きでプラモを買っていた。
当時これらのプラモは、全部100円で販売されていた。
凄く小さなプラモデルだったけど、子供が作るには簡単で良かった。
そして100円と言う事もあり、親もすぐに買ってくれた。
6歳位になると、俺は自分でこのプラモを作り始めていた。
そしてたくさん買って作り、後片付けをせずに部屋の隅っこに置いていた。
お陰で俺の家には、小さい戦艦プラモがコロコロ転がっていた。
たまに父親や母やがふんづけては、猛烈に痛がっていた。
でも俺は、踏まれてプラモが壊れた事の方が大問題だった。
そんな時は、泣いて駄々をこね新しいプラモを買ってきてもらう。
こうして俺は、プラモデルをたくさん買って貰い、作り続けられた。