9歳の時。
静岡県の下田市に臨海学校に行ってきた。
臨海学校とは、毎年夏休み中に行われる、海水浴旅行みたいな物。
毎年、2泊3日で行われる自然に触れ合う教育の1つだった。
ちなみにこれは、正規の授業とは別物。
参加費は、毎月保護者が積み立てたお金で行く。
下田市には、俺が住んでいる荒川区が買い取った、臨海学校施設がある。
荒川区の児童は、みんな必ず毎年ここに行く事になる。
この施設は、木造。
しかも、大正時代に建てられた学校の空き家だった
この施設には、水道もガスも通っていない。
電気はかろうじて引いてあり、電球が各部屋に設置されている。
水は、給水筒に入れられて設置されている。
お風呂は、近くの温泉から引っ張て来たお湯があった。
この施設から10分ぐらい歩くと海があり、みんなここで海水浴を楽しむ。
俺は、当時観光バスの匂いが嫌いでバス酔いをしていた。
車は、タバコの匂いがしていたから大丈夫だった。
そして当日、観光バスで4時間位かけて、下田に向かって行った。
みんなと楽しく話をしていれば、バスに酔わないと聞いていた。
でも、俺はボッチだったから、誰とも話さず到着までいつも寝ていた。
途中PAで休憩の時の外の空気ほどうまい物は、無かった。
そして現地に到着したら、急いでバスから降り急いで部屋案内をされた。
どうやら、予定の時間が押していたらしい。
先生達は、急いで海水浴を始めないとならないらしく、あおってくる。
我々は、速攻海に行く支度をして早足で海に向かった。
そして海が見えた途端、みんな大はしゃぎで海に走って行ってしまった。
みんな先生の止める声も聞かず、準備体操もせず、海に飛び込んでいった。
児童の面倒を見ないといけない先生達にとっては、最悪だっただろう。
そして俺は、そのままみんなと一緒に海に飛び込み海水浴を楽しんだ。
ただ浮かんでいるだけだったが、それが物凄く気持ちが良くて楽しい。
波に揺られて、上下ているだけの事だけど、それが何とも夢心地だった。
終わりの時間が来て、放送で我々の学校の生徒が呼ばれ帰って行った。
宿舎に付き、食事をしてお風呂に入ったら自由時間だった。
そこでみんなで、こっそり枕投げをやろうという話になった。
俺はこの時、枕投げなのにこっそりとは、意味が解らなかった。
そして、学年全員で2チームに分かれ、こっそり枕投げが始まった。
当然大騒ぎして、枕も布団も投げまくられた。
そんな中、誰かが枕を投げて電球を割ってしまった。
そこに先生が来て、とうとう枕投げが中止にさせられてしまった。
先生も枕投げは黙認していたようだが、電球を割ったのはマズかった。
初日は、こうして全員就寝につかされてしまった。
次の日。
午前と午後、ずっと海で海水浴だった。
起床したのは朝6時で、食事が終わっても眠かった。
でも、海が見えたらテンションが上がり、早速全員で走って海に飛び込む。
そして、また波に浮かんで夢心地を味わった。
昼食は、宿舎に戻って食べて、また海に向かう。
午後は、さすがに海水浴も飽きて、浜辺で眠ってしまった。
しばらく眠って、目が覚めたら体中真っ赤に日焼けしている。
俺は、体が熱かったので速攻で海に入った。
そして終わりの時間が来て、また放送で呼ばれ宿舎に戻って行った。
この時、体の日焼けによる火照りはなかったが完全に全身日焼けしていた。
食事をしてお風呂に入る時、当然痛くて温泉に入らずスグに出てしまった。
この後、また枕投げをしようと言う話になった。
でも昨日の電球事件のせいで、枕投げは先生に禁止されてしまった。
仕方ないので我々は、そのまま就寝する事になってしまった。
最終日。
この日は、海水浴はなくお土産屋に行き帰る予定だった。
我々は、帰る支度をしてバスで近くの街にお土産を買いに行った。
そこで俺は、何を血迷ったのかアジの開きを10匹買ってしまった。
お土産はそれだけ。
そして、しばらく1人で街を回ってバスに乗りこみ帰って行った。
バスの中では、俺のお土産袋から強烈な匂いがしていた。
そんな事は気にせず俺は、バスの中で熟睡していた。
そしてPAで休憩する時目が覚めたら、お土産袋が無い。
先生に聞いたら、バスの下の荷物入れに放り込んだと言われた。
どうやら、皆から苦情が殺到したらしい。
俺は、平気だったのにな。
この後、カラオケ大会が行われた。
でも、小学生で歌を歌うなんて恥ずかしくてだれも歌わない。
バスガイドが、何曲か歌ってくれた後1人の女の子が歌うと言い出した。
その子は、歌手志望の女の子でメチャクチャ歌が上手い。
当時流行っていたアニメの「キャッツアイ」を熱唱してくれた。
先生もバスガイドも、初めて歌を聞いて度肝を抜かれていた。
大人顔負けの歌だった事を覚えている。
その後も、その女の子1人が歌を熱唱しまくり、学校に到着した。
帰りのバスは、その子の歌のお陰で酔わずに飽きない帰路だった。
こうして、臨海学校は日焼けの痛みを残し、無事終わった。