1814年10月17日ロンドンの貧民街の
セント・ジャイルズにビールの津波が
街中に押し寄せビールの大洪水として
歴史に刻まれてます
この事件は大量のビールが濁流となり
町を飲み込み8名の死者が出てしまい
その背後に当時の醸造技術や経済背景
都市インフラの未整備が絡んでます
事故が起きたのは1764年に創業した
ホース・シュー醸造所と言う場所で
当時ヘンリー・ミュー社として
特産黒ビールを作ってました
黒ビールの主要生産拠点だったここは
ポーターという特産黒ビールを作り
これは焙煎した茶色麦芽を使った物で
風味が良く労働者階級に大人気でした
ここは高さ約6.7m容量約120万㍑の
ビール貯蔵できる巨大な木製樽があり
これが未曽有のビール大洪水の原因で
取り返しのつかない事態になりました
1814年10月17日午後4時30分従業員の
ジョージ・クリックが樽の検査中に
樽を固定する鉄枠の釘の一部が
外れているのを発見しました
釘は樽の形を保たせる重要部品で
樽は1個317㎏ものビールが入ってて
その重さとガス圧力で毎年数回外れ
特に深刻には受け止めませんでした
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でもスグ修理依頼を記した手紙を書き
その直後の17時30分樽が大爆発して
これはビールの発酵により樽内部で
ガス圧力が上昇して起きた爆発です
この爆発の勢いで樽が連鎖的に次々
大爆発して120万㍑以上のビールが
濁流となって貧民街を襲いってしまい
濁流は高さ4.6mルにも達しました
そして狭い路地や老朽化した家々を
次々に呑み込み排水設備が未整備の
家は倒壊し人々は避難できず流され
隣にあったパブも倒壊しました
このパブで働いてた14歳のメイドの
エレノアクーパーは壁が倒れ圧死し
次にメアリーバンフィールドと4歳の
娘のハンナ氏も波で溺死したのです
そして地下で葬儀中だった5名にも
濁流が襲って命を落としてしまい
更に洪水のビールを飲み過ぎた住民が
急性アルコール中毒で死亡しました
死者数は合計17名になり洪水直後の
救助隊はビールに浸りながら必死に
救助してましたがその後の裁判では
事故は不可抗力という判決が出ました
そして醸造所は責任は問われず
しかし醸造所は経済的大打撃を受け
そのため議会から資金援助を得て
その後も存続し続けました