皆さま、こんにちは。カテゴリ解放おめでとうございます。
ってNaottaあまりガッツリと日本企業で社畜をした事がないし、もちろん社畜を雇った事もないのですが、中東の会社で働いていた時のことを書こうかと思います。
アラブの春が起こった時、Naottaは日本にいた。
しかし会社命令で今すぐにでも中東のある国へ旅立たなければいけなかった。
「行きたくないです!」
「大丈夫ですから!」
と日本人の上司は電話越しに私を説得した。
もううんざりだ。
日本にいては出来なかった珍しい経験がたくさん出来るこの仕事が私は好きだった。
中東の人は日本人には優しかった。テレビドラマのおしん(知ってる人いる?)が国民的人気番組だったから、たまに道ゆく人に、
「オシーン!」「ガミーラ(アラブ語で可愛い)」
って言われて可愛がられた。苦労した日本が今は経済大国というストーリーが励みになるそうだ。いい加減なところもあるが、明るく人情深い中東の人がNaottaはけっこう好きだった。
仕事ははじめはゆったりした環境だったが、時が経つにつれ段々とキツくなっていった。同僚や先輩の中にはさっさと辞めて語学を生かして別の外資や当時話題だったベンチャーへ転職した人もいた。
行き遅れ?いやいや、そんな悠長なことを言ってられないぐらい私たちは忙しかった。
それは会社のトップが次期大統領と噂されるある大臣になってからだ。
当時のあの国の経済は非常によく回っていた様に思う。社会主義かつ独裁主義のくせに外貨獲得のために経済の発展に力を入れていた。
しかし3権分立とか、社会保障とか、医療制度とかがまともに機能していない独裁政権。日本だったら違反ですよね?という様なブラックな勤務体系だったと思う。
さらに中東の人はみんなが自己主張をする。強い組織のトップは自分が地位を得ると下の人たちを全部息のかかった人にすげ替える。そうしないと組織が回らないっぽい。協調性という単語はないのだろう。
そして私の会社ももれなくそうであった。
色んな事があった。
もううんざりだ。
そして外国人である私たちですら疲弊していた中、国内で逃げ場もなく搾り取られていた国民はもっと怒っていたに違いない。
ある日彼らはSNSの呼びかけによって決起し、アラブの春という革命を起こした。
テレビでは見慣れた中央広場が激しいデモの人々で埋め尽くされてる。
平和だったあの広場が人々で真っ黒になるなんて・・。
Naottaは飛行機の中から郊外の街並みを眺めた。
静か・・
戒厳令が引かれる中、深夜の空港に降り立った。
そしてNaottaは帰国後、会社都合により無期限休業状態になった。
ラットレースにいたモルモットがいきなり放り出された感覚だった。
そしてNaottaは普通の女の子?に戻った。
しばらくプラプラした後、ある日ふと思いついて新宿のホテルでやっていたあるイベントへ行った。アメリカの大学院の説明会である。
そこでNaottaはアメリカのある大学から来た先生に声を掛けられた。
「うちの学校来ない?」
と。まるでナンパの様だった。
ほとんど勉強してなかった文系の私はそれからテストの為に猛勉強した。
その1年半後、Naottaは晴れてニューヨーク州のど田舎の空港にプロペラ機で降り立った。(プロペラ機しか泊まれないほど小さな空港だった)
アイビーリーグの大学院へ1年間留学するためだ。
と言っても当時はそれしか選択肢が無かった。
会社は政情不安でビジネスが続けられなくその後日本を撤退してしまったから。
発展途上国の社畜になるとこういう事がある。
いや途上国に限らず外資にはこういうリスクが付きまとうのだろう。
でも結局この事があったら私はアメリカに来る事になったし、なんとかキャリチェンして人生の幅が飛躍的に広がった。この時大学院に行かなかったら今ブロックチェーンに興味をもったり、ALISをはじめとした色んな出会いもなかったかもしれない。
当時は予想もしなかった事だけど。