布団の中でめざめ、薄目でスマホをのぞきこみ、ALISをひらいたらクロサワさんのブログに私のことが書かれていたので覚醒した。校正・校閲者として、とてもありがたいことが書かれていて感動した。もっともっと精進しないといけない。ALISで知り合って一緒に仕事ができたことがとてもうれしく、また頼んでもらえたのなら、このときよりももっと質のよいものができるように(いやこのときもこのときのベストだったのだけれど)、そのときのベストを尽くせるようにしていきたい。
ありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
*
そのあとは再び眠り、のんびり起きてゆっくり支度をし、カフェで福嶋亮大著『書物というウイルス』と、吉川浩満著『門前の哲学』を読んだ。思わずいろんなところにマーカーをして付箋をたてた。2冊ともまだすべて読んでいない。同じところを何度か読んだりした。2冊ともとてもいい。どうしてこの2冊を並行読みのようにしているのか自分でもあんまり理解できていないが、わたしの校正の仕方にちょっと似ている。詳しくは書くのがめんどうくさいのでやめておくけれど。
たまに文藝の魔女特集を読んでうなずき、たまにぼんやりして今後のことを考え、たまにノートをひらいて言葉を書いた。
*
夜になったので帰宅して昼寝をした。夜だから昼寝とはいわないのかもしれないが、昼寝をした。起きてふと、吉川さんの本の中に出てきた映画『月はどっちに出ている』を観たくなったので焼きうどんを食べながら、観ることにした。
観ていたら電話がかかってきて電話の主の近況をきいた。こいつは相手がいま『月はどっちに出ている』を観ていたことなど関係なしに、彼の中の現実世界で話しまくっているのだと思うと愉快だった。電話は相手の時間を奪うという理由でかけるのを遠慮するひとがいたり、時間を奪われるから嫌だと思ったりするひとがいるけれど、それはメールやLINEやMessengerやDMや、とにかくそういった類の文章でのやりとりが当たり前になってからうまれた考えである。本来電話は相手の状況など関係なしにかけるものであり、かける相手と話したいからかけるものである。そう考えるととても愛おしい。それがただの暇つぶしだとしても、迷惑だとおもわずに電話はかければいいとおもうし、迷惑だとおもわずに何も連絡せずに、あいたくなったらその人にあいにいけばいいとおもう。
たとえ電話に出なかったとしても。たとえあえなかったとしても。かけたりあいにいったりすればいいのだ。時間の無駄だったとはおもわずに。たぶんきっとそういう心の余裕みたいなものが、にんげんにはたまに必要なんじゃないかとおもう。
*
さて。『月はどっちに出ている』の続きを観よう。そして今日もいろんなことに感謝して眠ろう。
おやすみなさい(寝すぎ)。