朝の通勤電車は各駅停車に乗ることにした。混雑具合がこんなに違うなんて。各駅停車はまだ息を吸うことができる。
そう見られないことが多いのだけれど、もとからどこへいっても緊張しているから、今日も職場で、すこしのことで心臓がバクバクしてしまい、地震があってさらにバクバクして動揺をかくせず変な動きに。みんなを見渡してみたけれど動じていないようにおもえる。わたしもおなじように見られているのかもしれないが、自意識が充満していて悲しい生き物なのでとても生きづらい。
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夜は北村早樹子さんのワンマン。開催場所の阿佐ヶ谷よるのひるねさんには初めて行ったのだけれどとてもいい雰囲気だったし今度ゆっくり珈琲でも飲みに行きたい。店主さんにもすこしだけ共通点があることが帰宅してからわかりびっくりした。いろいろつながるものだし、六次の隔たりってほんとうだなとおもう。
仕事の都合で途中入場になってしまったので、着いたときには北村さんの素敵な歌声とピアノはすでに奏でられていた。案内された椅子に腰をかけてじっくりと耳を傾け、歌う表情をみていたら涙が出そうになって必死に我慢することに。我慢しなくてもよかったのかもしれないと帰りの電車でおもった。ああいうところでは感情を出してなんぼだとおもう。なのにわたしは涙を我慢してしまった。もったいない。
目の前で魂のようなものを浴びせられるときわたしは、血液とか前頭葉とかありとあらゆる臓器が思考とは関係なく勝手に感動して息をするのが難しくなるのだけれど、北村さんの歌声とピアノを弾く指先、たたずまい、メロディ、そして歌詞、あたしが北村早樹子よ! という熱をこれでもかと浴びせられたときのわたしはまさにその状態で、脳は処理が追いつかずに困っていた。困っている脳を置いてけぼりにしながらわたしは、北村さんの歌にしみじみと陶酔し、「あぁ…わたし、生きよう」とおもったのである。
あぁ…わたし、生きよう。
たどたどしいギターでの弾き語りもとてもよくって愛すべき存在だとおもったし、これは自分のことだけど、読んでいる作家で政治的思想を勘ぐられるみたいなのわたしはとても嫌だなあとずっとおもっていたからラストの話も響いた。
で、絶賛置いてけぼりの脳はライブ後も置いてけぼりだったので気づかなかったのだが、本秀康さんってレココレのレコスケくんじゃん! ってこれまた帰宅中に思い出し、なんてわたしの脳はぽんこつなのだろうとぼんやりした。
そんなこんなで、ライブは途中からでもとてもよくて満足した。よくをいえば初めからみたかったので悔しいけれど、こんどまたワンマンのときに足を運ぼうとおもう。音源もGetできてマイハッピーお葬式!