ひさしぶりの2連休だったのだが23日は勤労に感謝をしながら勤労した。朝から心霊系動画チェック、コミュマネのための教科書原稿リライト、レポートチェックなど。レポートを書いた人(親族)は間接引用の書き方を知らないらしく、非常に読みにくい箇所があり困惑した。
Netflixで『ドクター・デスの遺産』(映画)を綾野剛が出ているというだけで観たけど、内容は特になにも感じなかったというか、安楽死したいひとの気持ちがなんとなくわかってしまうので難しい。安楽死を希望する側の気持ちはわかるがそれを実行するひとの気持ちはわからないような気がする。それから、語彙力を諦めていえば、綾野剛の演技力はすごいとおもう。
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24日であるきょうはとても怠く、からだが痛く、全身むくんでいるような気がしたので早朝起きるのを諦めて(諦めてばかりいる)お昼ごろに起き出し、怠くてもお腹がすいて食欲があるから生きていられると思いながら、さんまが食べたくなって近所にたべにいった(大戸屋)。家で魚を焼かない。料理をしなくなってからだいぶ経つ。難病と共に暮らし薬を飲みながらフルタイムで働きそれに加え家事をこなすなど、わたしにはとても難しい。いつも執事がほしいと切望している。
サイドメニューの唐揚げをつけておいしくいただいたのち、保険証がかわったので医療券の情報更新のために役所へ。いろいろと書類を記入していると、「番号が変わらないからこの医療券のまま病院で使えます」と言われる。このまま使えるならこなくてもよかったのでは……とおもったりもする。まぁいいか。
そのあと昨日作業をしていた場所に足つぼ器具を忘れたので取りに行く。わたしは校正をしたり原稿を書いたりするときに足ツボをおせる器具のようなもので足裏を刺激していないと集中力が保てない。なので作業スペースにもそれを持っていって踏みながら仕事をしている。きのうはそれを忘れて帰ってしまい、電話をしたのだが、「ありますよ」とのことでとりにいったのだった。とても恥ずかしかったし他人の足つぼ器具など触れたくないだろうと申し訳ない気持ちだったのだけれど若い女の子が笑顔で返却してくれた。ありがとう。
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そんなことをしたあとコインランドリーに行く。コインランドリーにすっかりはまってしまった。みんな洗濯物を放り込んだあと乾燥が終わるまでの時間は家に戻るかその辺で時間をつぶすかしているらしく、ほとんどコインランドリースペースには残らない。でもわたしはあの空間にいてコインランドリーが一生懸命稼働している音を聴きながら缶コーヒーを飲んだり本を読んだりする時間が好きになったのだった。
1時間の洗濯乾燥のあいだ、先日の文学フリマで購入した『言葉だけの地図』を読み耽る。この本、2人の著者が同じ個人書店に別の日に足を運び、駅から書店までの道を思い出などにのせてユーモラスに描いているのだが、ゆくゆく街の歴史などの研究にとても役立つのではないか思う。この場所にかつてこういう本屋があったとか、その本屋の近くにはこういうカレーやさんがあったとか、駅前に大きなロータリーがあったとか、そういう記録文学でもあるので、100年後とか200年後とかもっとさきとか、未来に残ってほしい。あ、保谷は「ほうや」だよ宮崎さん!笑
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すっかりふわふわになった洗濯物をたたみ(いや、昔のコインランドリー事情はまるで知らないからなんともいえないけど、現代のコインランドリーの洗濯機すごいわ…かちこちにならないのにものすごくきれいに汚れが落ちている…)、持ち帰った後きゅうに鯛焼きが食べたくなったので近所で買って、その場でたべた。住んでいる街は、ほんとうにとてもいい街だなとおもう。
きょうもいい休日を過ごした。明日からは恐怖の5連勤なのできばってまいります⭕