日常的に大都会に通っているが、誘惑が山のようにあって改めてびっくりしている。大都会はすごい(いまさら)。
子どもの頃からはやく家という牢獄から出たいとおもっていたが、大都会に住んだり通ったりするとは想像していなかったようにおもう(住んではいない。いや、でも地方からすると区の名称が大都会かもしれないが)。
あのころはほんとうに外出するのも一大事で友達の家にいくにも、ライブにいくにも両親に伝えることがたいへんすぎる作業だった。悪いことなど何もしていないのに死んだほうがましという気分が延々に続いていた。言わなくてはならないときの冷や汗や動悸をいまでも鮮明におぼえているし、言い出せなくて布団の中にいたこともある。
私は自分より年上で、生活音が大きかったり、声が大きかったりする女の人のことが震えるぐらいいまだに怖い。
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そんなわたしは、20歳を過ぎてから家出することになる。宿泊先は当時の彼氏の家がいちばん多かったが、ほかは大都会・渋谷のネカフェで寝泊まりして通勤していた。いわゆるプチ家出のネカフェ難民というやつである。そんな言葉が流行っていた頃、いい大人なのにそんなことをしていたわたくし、今考えると恥ずかしいが、あの頃は必死だった。
外に出なければわたしは、この家で自殺したのと同じだとおもっていたので、必死に外に出たし、必死に好きなことをしようと試みた。音楽ライターのたまご的なことをしていたときはそりゃもちろん、ライブに足を運びたいしオールナイトイベントだって行きたい。でも、家にいるときは半分以上かなわなかった。
こわかったのである。何も悪いことなどしていないのに頭ごなしに否定され、支配される家に閉じこもり、何もかもがこわかったのである。でも、わたしはあるとき急に、家に帰らなくなった。
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当時を思い出すと家出をしたことは100%後悔していない。あの勇気があったからこそ、今のわたしが存在する。
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大都会・渋谷で終業後にべつの仕事をしながら思う。あの頃のわたし、ありがとう。
めちゃくちゃありがとう。ほんとうにありがとう……お世話になりすぎている渋谷、ありがとう。
かえるのいやだけどかえるわ……