そんなことを苦々しく思ったことはないだろうか。私は幾度となくある(現在進行形でこういうことはあるが、まあしばしば私の方が間違っていることの方が多い)。
私は絶対正しいのに、こいつはアホなのか?私は迫害されている!こいつは俺に嫉妬しているんだ!などなど、そのような納得できない感情が自分の内面を毒していく。
現実問題として、説得し、考えを変え、行動を促すことは極めて難しいことである。そのために自分の考えを相手に伝え、理解させ、支持してもらうにはそのためには「伝える技術」がいる。
伝える技術というと不快感を持つ人はいるかもしれない。熱意と誠意を持てば必ず説得できる、顔を合わせて話せばわかってくれると思う人は多い。しかしこれらは幻想だ。誰にも自分の考えや主張や信念がある。それを変えるのは大変なことだ。それ以前に聞いてくれる機会自体を作ることが大変だ。
この本には、いかに自分の意見を相手に伝えるための、レトリックという実践的な技術が詰まっている。理論のベースは古代ローマの弁論術である。二千年近く前の理論が現代でも通用するのは驚くべきことである。しかし考えてみれば当時は純粋に弁論でしか説得の手段がなかったのだから、それが洗練されるのは当然かもしれない。
個人的に色々ツボだったのは、「上司は長いメールを打たない。なぜなら自分を正当化する必要がないから」だそうです。
以前環境活動家であるグレタ・トゥンベリさんについて言及したが、彼女の演説が相手を説得する上でいかに間違っているかはこの本を読むとよくわかる。あくまでも彼女の主張の内容ではなく、演説の仕方の問題である。
まず彼女の発言は全て過去形で語られていた。過去の人たちがいかに間違ったことをしていたかばかりを話して、未来について何も言及していない。これから何をするべきなのか、どうしたいかを一切話していなかった。
皮肉なことに唯一未来に関することは、これからが大量絶滅の時代になるということだけである(ちなみにこれは間違っている。人類の歴史は全て人間以外の生物にとっての大量絶滅の時代である。しかもこれは地球温暖化の影響ではなく、単純に人類の大量虐殺の結果である)。
また彼女の発言は極論を述べて不安を煽り、地球温暖化対策がやるかやらないかの0か1、白黒はっきりしているかのように言っている。しかし実際には環境対策は0~100%の間で経済や技術のトレードオフによって成立している。残念ながら彼女はこのような複雑な社会のことが理解できていないようだ。
この本では一市民として悪意を持った施政者に騙されない方法も書かれている。悲しいことにレトリックはこのような人物にも利用される。いかに自分を正当化し、問題を曖昧にしたり誤魔化したりすることも使われる。そのような人物から逃れるためにもレトリックは必要だ。