やることとやらないことを決めると言うのは、簡単そうで案外難しい。今日はそう感じた。
サービスの検証方法に大きな方向転換があり、これまでノーコードで作成してきたサービスではなく、別の方法で検証してしまった方が良いのではないかと言う結論に昨日至ったからだ。そうすることによって気持ちの面では安堵したがそれでもまだ課題は残っている。
つまりこれまで設定していたスケジュール感や目標が全てリセットされてしまい、改めて目標設定をする必要性に迫られた。
例えば高校生までであれば、決まった時間割が存在し部活動でも決まった練習メニューが存在する。
大会やセンター試験といった明確な目標に対して日々そのスケジュールに従って練習や活動を行い続けることができる。
裏を返せば自ら目標や予定を決める必要がないと言うことの裏返しであり、それはつまり本来集中すべきタスクに全て理想的な環境で集中できると言う最後の環境だったのではないかと思う。
翻って現在は大学を休学しており、世の中にないサービスを一年間で1から作りたいと言う漠然としたビジョンはあるものの、その抽象的かつ遠大なビジョンであるが故に、高校までのような確固たる目標を達成するための堅実な努力と言うものの設定が非常に難しい状況だと言うふうに思った。
これは休学や起業するなどといったことに限らず、就職活動や転職活動並びに内定した後にどのように1年間学生生活を過ごすかといったような、すべての領域において同じことが言えるのではないか。
そんな自ら予定と目標を設定しなければならない義務教育を終えた後の世界において必要なのは、今本当にそれをやるべきかどうかを見極める力だと思う。
世間ではグリット等と努力の重要性が叫ばれて久しいが、そもそも努力の方向性が間違っていればこれまで行ってきた活動は全て水泡に帰してしまう。
だからこそ改めて今、本当に自分は何をするべきかどのように努力するのが本当に正しいかを見極めてそれをスケジュールと目標に落とし込み確実に達成していくことの醍醐味と難しさをかみしめる必要があると思う。
こうして毎日やらなければならないことを見極めるために自らの能力不足を実感する…