皆さんは、本好きですか?
私は、好きです。
先人の経験や知識を教えていただけるし、有用な情報の宝箱ですよね。
ただ、宝箱を開ける時は、少しばかり気をつけないといけないのかも知れません。
とくに魅惑的な宝箱ほど気をつけないといけないのかも。
これは、RPGでも現実世界でも同じですね(笑)。
この物質世界では、出版される本と出版されない本がある事をご存知ですか?
私はこの分野をかれこれ20年弱研究してきました。
DAYちゃんのこの記事がとてもシンプルで秀逸なテーゼだったので思いつきました。
今日は、社会工学研究者として
少し瞑想しながらシンプルに文章を書いてみますね。
蛇とかレプタリアンとかアヌンナキのお話は、少し置いておいて・・
今回は、シンプルに軽やかにいきますよ~
ここに、禁断の果実がある。
アダムとイブのお話に出てきます。
エデンと言う上位世界で、人間が食べる事を許されなかった禁断の果実。
別名
天界では「善悪」を一括りとし全て理解した上で一元論で扱う。
故に優劣はない。
まだ、未熟な魂の人間(アダムとイブ)が・・
ひとたび「善悪」を「善」と「悪」にしてしまうと物語が始まってしまう。
経験がはじまり、また初めから、すべてを見てこなくてはならなくなる。
分離を基調とする二元論世界の、
はじまり、はじまり~
もともと優劣が無いものに優劣をつけるこころみがはじまる・・
拡大と収縮を繰り返し・・
気の遠くなる永い旅の果て
帰還する・・
ぼそっ
この神のシステムを利用する人間がいる。
左右と言ったものもこれに因んでいる
確かに、右手は箸を使える。
だからと言って、右手が箸が使えない左手をどうこう言うことはナンセンス。
社会工学的に
これの存在価値は・・
議論の果てに在る。
支配学の基本戦略であるところの分割統治に利用される。
まったく、質の悪いウィルスである。
右左を意識するだけで感染する。
もちろん支配者側は、
右と左のコントロールを完全な両建てで構築している。
こと、物質世界では、右は右に在るように・・
左は、左として在るように思えてしかたがない。
それは、仕方が無い。
瞑想・想像の中で右または左の果てまで行く試みをして欲しい。
一回転して反対側から帰ってきたひともいると思う。
実に、左右とは、観測者の主観なしには存在しえない。
この瞑想法は、多少チャネリングを意識して高次の存在に考察中の補助を求めながら進めて参ります。複雑さの罠にはまった場合や常識の罠にはまりそうになった時には、瞑想時の想念観察を使って頭をなるべく空っぽに持っていくようにこころみます。なるべく軽やかにシンプルに、必要な人に伝わるイメージをえがきながら・・もちろん、この場合でも書き手の主観は、影響しています。
かるい妄想です。最後までお読みいただきありがとうございました。
親交宇宙 ULIBUDDHA