私は日本人の父とスペイン人の母の間に生まれたハーフです。
父は仕事でスペインに来た際、通訳でサポートした母と恋仲になり結婚しました。
そんな二人は今でもとっても仲良し。
父の日本帰国とともに、私たち家族は日本に移り住み、私はこの美しい島国で、父と母のたっぷりの愛に育まれて育ちました。
私はずっと父と母が大好きでした。
母は私の父をとても愛していて、私にも「私の愛する人の子どもだから、マリアのこととても愛してるのよ」と言っていました。
この言葉は日本の方には少し奇異に聞こえるでしょうか?
「私の愛する人の子どもだから愛している」
今の日本にはシングルマザーも多いいですよね。
父親がどのような立ち位置にいても、とにかく私はこの子を育てぬくというその愛情は、とても強く美しいものだと感じます。
私はそのことを強く美しく感じる自分がいることをあらかじめお話したうえでこの話をします。
もしよろしければ、最後まで聞いてください。
私の母の愛は、日本人一般の母性とは少し姿の違うものだったのかもしれません。
共通点も豊かですが、「私の愛する人の子どもだから」と伝えるところが一風変わった点だったと思います。
私の母は私に「私の愛する人の子どもだから愛している」と繰り返し伝えながら、幼いころから私を何度も何度も抱きすくめました。
私は幸せでした。
私は父も母も大好きでした。
そんな私も中学生の女の子になりました。
学校のクラスの女子のほとんどは「お父さんって気持ち悪くない?」と話し合う習慣がありました。
「うん。キモイキモイ」
時には自分の父親に対して侮辱的な言葉を使う友人もいました。
しかし、私はそのような会話にはついていけず、自分は違うなあと感じていました。
女子中学生だったときも私は父も母も大好きだったし、お父さんを嫌いだとか気持ち悪いと思ったことは一度もありませんでした。
中学生の頃、私は父が仕事から帰って食卓につくと、父に出す食事の仕上げや盛り付けをしている母に代わって、父のコップに最初の一杯のビールを注ぐ習慣がありました。
父は私に「今日は学校はどうだった? 楽しかったか?」
などと話しかけ、私は色々なことを素直に話し、父と一緒に笑いました。
まもなくそこに母も加わって、三人で楽しく食事しました。
それでも、一日の大半を過ごす学校には、違う意見の友達がたくさんいました。
「お父さんって気持ち悪いよね」
「いやよね」
毎日毎日、雨のように降り注ぐその言葉を浴びながら、いつしか私は、もしかしたら自分がおかしいんだろうか?と考え始めるようになりました。
学校で一緒に過ごし、放課後も教室や公園やだれかの部屋で長い長い時間を一緒に過ごすのは、家族よりも友達です。
その友達の、女子の大半がお父さんは気持ち悪いと言い、反対意見を言う子はいませんでした。
私はだんだん自分がおかしいんだと考えざるをえなくなってきました。
未熟だっただけに混乱してしまっていたのかもしれません。
ある夕方、私はとうとう、お父さんに心にもない態度をとってしまいました。