三角公園に着くと、
釜ヶ崎越冬闘争のメインステージでは、グルーヴィンのステージが始まっていた。
ところで、そもそも越冬闘争とは何か?
まあ、釜ヶ崎については、あの本もこの本も読んだけど、
労働運動史と現状の説明は面倒くさいので、
釜ヶ崎日雇い労働者組合副委員長の三浦さんのアピールでも聞いて。
録音してないけど。
写真で聞いたつもりになって。
後は自分で調べてね。
今日、三浦さんはなぜ、この祭りは一切の行政からの援助を拒否して続けているのかを説明していた。
一切の忖度をしないためなのだ。
三浦さんには、数年前、沖縄の辺野古や高江のゲート前でも会ったな。
高江ゲート前での、あびの伝説の?泣きながらの「沖縄で、大阪の機動隊がごめんなさい。でもそれを派遣要請した沖縄県公安委員はなぜ再選され、翁長によって再任命されたのか。目を覚ませ、沖縄!」の演説を彼は現場で「よかった」と言ってくれた。
だが、沖縄側の司会が論点をはぐらかしたので、僕は怒り心頭に発し、もう沖縄のことは知らん!二度と来ない!となったのだ。
(あの時は山城さんが勾留中だった。僕は山城さんや、文子おばあのことは好きなんだが。)
で、僕がなんで越冬闘争に来るかというと、まあ、釜ヶ崎が好き、そこで手弁当で歌うミュージシャンたちが好き、三角公園に行けば、知り合いも多く、テリトリーの一つだから、、、とでも説明するしかないだろう。
グルーヴィンのボーカル、神川様夫、通称、西成の神様も、大好きなミュージシャンの一人だ。
グルーヴィンの時はイケイケのロックだけど、ソロのときのオリジナルバラードは、涙ちょちょぎれるので、過去のあび録画のyoutube動画から紹介しておこう。
聴いてね。
西成、殊に釜ヶ崎が危険な街だという風聞には根強いものがある。
確かにひとつの側面としては、それは否定できない。
だが、たとえば、この西成のおっちゃんのジョニーが悪いやつに見えるか?
ジョニーとは、何年も前に釜ヶ崎芸術大学で会った。
次に三角公園で会ったとき、
「おお、ジョニー!」
と言うと、
「にいちゃん、俺のこと、覚えてんか」
とジョニーは泣きそうになっていた。
「にいちゃん、学校の先生、ちゃうんか。なんで、いつも、ここへ来るんや。(実はインドに似てるから、、、(・_・;))
いやあ、嬉しいなあ。俺のこと覚えてるんか。なんで俺なんかのこと、覚えてるんや。」
と言ってハグしてきて、また突然、何かに気づいたかのように離れ、
「にいちゃん、学校の先生やろ。俺なんかと、付き合うもんじゃない!」
などと言う。
笑えるぅ。
「なんでやねん」と言って、普通に接していると、すぐに心を割ってくる。
人懐こい。
ここは、そういうおっちゃんたちの街だと、皆に知ってほしい。
だから、ココルームの作ったこの映画を見てほしいのだ。
つづく