(承前)
この点について、私が最も示唆に富むと考えているのは、古田武彦の『わたしひとりの親鸞』の中、古田が過去の思想家の言説を分析してきた上で、「わたしの理解」という章を設けて開陳している考察である。
この文言の含まれる消息(手紙)を親鸞が性信に送ったちょうど同じ頃、親鸞は『正像末和讃』において、念仏弾圧の激しさを心底嘆いている。
「五濁の時機いたりては 道俗ともにあらそひて 念仏信ずる人を見て 疑謗破滅さかりなり」
「五つの濁りの時代となると、僧侶もそうでない世間の人々も互いに争い、 念仏の教えを信じる人を見ては疑い謗り、 盛んに討ち滅ぼそうとする」
ここで「道=僧侶」も「俗=そうでない世間の人々」もと呼ばれているのは、どのような人々であろうか。
このことを裏付ける別の消息として、古田は次の文言を挙げている。
「ただひがふたる世のひとびとをいのり、弥陀の御ちかひにいれとおぼしめしあはば、仏の御恩を報じまひらせたまふになりさふらふべし」
「ひがふたる」の「ひが」は「僻み」の「ひが」である。「ひがふたる世の人々」とは「素直になれず、ひがんで、間違ったものを頼みにしている世間の人々」というほどの意味になろう。
人は、自らの弱さや小ささを認めず、そこに素直に立ちきることができないことが多い。勢力の強いもの、世の中で支配的な力を行使しているもの、そのような存在を頼りがいに思い、長いものに巻かれていく。
何もイエスや親鸞やマルクスを持ってくるまでもなく、社会というものは本来、弱者に優しく、近隣の他国とは共存共栄しようとする治世の下にあるのが望ましい。
その知見は人類が、様々な先住民社会の事例や、超越性宗教の預言(正確な社会分析に基づく提言)などに基づいて発達させてきた「人権思想」の賜物である。
しかし、「ひがふたる世のひとびと」はしばしば、そこに立ちきることを拒否して強がる。
本来、共に歩む仲間であるはずの弱者に対しては厳しく、逆に自分を抑圧、弾圧、搾取してくる大きな権力に取り入ろうとする。
親鸞の時代でいえば、奈良の興福寺などの巨大寺院、朝廷や幕府などの権威、そのようなものの側につき、それらと一緒になって、差別されている弱者の集団である念仏者集団を弾圧する。
この消息で親鸞は、「素直になれず、ひがんで、間違ったものを頼みにしている世間の人々」にもまた祈りを捧げ、彼らもまたすべてを救い摂め取ろうとする本願に入れという思いで念仏を続けてきたのが、法然以来の念仏集団であることを想起している。
そもそも、そのように僻み、誤ったものを頼りにしている者たちをも、皆、だれひとり見捨てず、救おうとしているのが、阿弥陀の限りなき働きである。
そうであることを思えば、その恩にひたすら報恩し、念仏することになろうと言うのである。
当時、朝家=朝廷は、興福寺などの旧仏教のそそのかしもあり、激しく念仏を弾圧していた。
と共に、そのような権力者たちに追随していた世の人々も「すべてを摂めとろうとする阿弥陀の限りなき働き」にゆだねることなく、誤った権威に付き従うことで安穏を得ようとしていた。
それはますますあらゆる人々を窮地に追い込んでいく道なのだが、それに気づかず、目に見える大きな力を持ったものに取り入ろうとし続けたのである。
しかし、そのように生きあえぐすべての人々を救済しようとするのが、阿弥陀=限りなき働きではないかと親鸞は言う。
現代社会の例でいえば、世界を支配する軍事力を持った大国。その大国に取り入りながら、自国を支配している政権。その圧倒的な力をもった政権に取り入る役人や、世の人々。
自らはむしろ弱者であるのに、仲間と手をつなごうとせず、強い勢力に取り入ってますます自らを窮地に追いやる人々。
彼らはまた、集団としての自国が「強い国、素晴らしい国、美しい国」という思いに一体化することで、弱いひとりの人間として生きあえぐ自分を見つめることを回避し続ける。
そのような者もまた阿弥陀の限りなき働きは救済しようとしていることを思えば、感謝の念仏が自ずとあふれてくるばかりではないかというのである。
(つづく)