
僕がSHINGO☆西成の「生きるっていうことは」を初めて聴いたのは、2013年の釜ヶ崎越冬闘争(一月)やった。
その年の二月、心室細動に見舞われ、13分間の心肺停止に陥った僕。
死ぬか植物人間やと言われていたが奇跡的に回復し、車椅子で行動できるまでになった。
2013年の釜ヶ崎夏祭りでまた「生きるっていうことは」を聴いたとき、
涙が止まらなかった。
生きていてもう一度聴けたという奇跡。
このとき、僕はSHINGOのバックで踊ったダンスバリアフリー(チーム名)を初めて見た。
帰りの駅でそのメンバーに遭遇。
車椅子で近づいていって「どうしたら、チームバリアフリーに入れるのか?」と聴いたら、その場で「一緒にやりましょう」と言われた。
SHINGOのバックで何度か踊り、NHKのバリバラでも放映された話やそのyoutubeはまた気が向いたらリンクするとして・・・・・。
僕が最後にSHINGOと446(ヨシロー)が一緒に歌う「生きるっていうことは」を聴いたのは、2016年の釜ヶ崎越冬闘争。
次の動画の最前列で赤いニット帽をかぶって踊っているのが僕だが。
これが446を見た最後だった。
この年に446は突然死んでしまった。
死因は発表されていない。
けれども自殺かもしれないと、その後のSHINGOのいくつかの歌や言葉の端々に僕は感じた。
九死に一生を得て、身体障碍者になって、車椅子で再び釜ヶ崎にやってきた僕に「生きるっていうことは」を聴かせてくれたSHINGOと446。
やっぱりこの歌はこの二人が聴かせてくれないと・・・・。涙。
446追悼記事です。
ありがとう。
446よ。永遠に。











