2013年1月13日 facebook
桑田真澄が「体罰はスポーツ選手を強くしない」と言ったことについて、テレビで橋下が、「あれだけ極めた人が言うのだから反論のしようがない」と言っていた。
橋下はかつては体罰を肯定していた人だ。
今回の発言は事件と論調に押されて変わってきてはいるが、その根には変わらないものがある。
結局、何を言ってもげろげろな人だなあと思った。
一流の野球選手として桑田が責任ある発言をしてくれたのはとてもよかったが、一流を極めた選手が言うから反体罰論に反論できないのではない。
桑田はこう言っていた。
「殴られるのがいやで野球をやめていった友だちがたくさんいた。日本のスポーツ界の損失です」。
この言葉には桑田の人生における万感の思いを感じた。
そのすべての友だちのために、そして今、未来のすべての子どもたちのために桑田は発言したのだと思う。
それを「極めた人が言うのだから反論のしようがない」ととらえるのは、最も皮相なとらえ方だ。
なんだかこの言い回し自体「残念だけど、一流の人に言われたら反論できない
。事件のこともあるし、ここは折れるしかない」というニュアンスを感じた。
そして、ここには「一流が言うから、そこらの庶民が言うから」ということを差別する、橋下という人が根に持っている差別意識が露呈しているのも感じた。
「何を言ってもげろげろだな、この人は」と言わざるをえないゆえんである。
この人は、自分が上から目線で見下ろしている人々がどんなに切実な発言をしても一生、耳を貸さないだろう。
切実で深い思いに裏打ちされているかどうかが問題なのではなく、えらい人が言ったか、庶民が言ったかということが問題なのだろう。
桑田の言葉がよかったのは「おれが言うんだから間違いない」という路線ではなかったからだ。
イチローだったらそんな路線になったかもしれない。
そうではなく桑田は「野球をやめていった友だち」のことで胸をいっぱいにしながら言っていると感じたからだ。
その発言に共感の広がりが感じられるからだ。
桑田が偉いかどうかは関係ない。
イチローだったら、たぶん、橋下を動かせても、あびの心は動かせない。
橋下という人は結局、この人以上の「権威」ある人に、がつんと叱ってもらって、ぎゃふんと言う以外に更正のしようがない人なのだろう。
それでもこの人に対しても体罰はダメだと思いますけどね・・・。