2013年の日記
僕はテレビを持たない、見ない、持ち込まないの非テレビ三原則を守っているので、オリンピックのプレゼンの様子とか全然知らないのだが、滝川クリステルの用いた「おもてなし」という言葉から、大西巨人の「俗情との結託」という言葉を思い出したと書いている人がいて、なるほどそういうものかと思った。
もとより僕はこの言葉を正確に理解するものではないが、「なかったことにして、日常に戻り、希望を抱く」ということとも関係しているのではないかと勝手に考えた。
人類史上の幾千万の虐殺、レイプ、セクハラ、いじめは、やがてなかったことにされ、人々は日常に戻り、希望を抱くことを願う。そして俗な感動に身をゆだねて生きていく。
僕の中ではそれは「電通的なるもの」と呼んできたものとも重なるし、ニューエイジ的なものと呼んできたものとも重なる。
そしておそらく最終的には天皇性なるものに繋がるものだろうと感じる。
2020年東京オリンピックは「俗情との結託」の最たるものであろう。
なかったことにされようとする存在の呻き苦しみはその出口をただアートに求める。
アートの仕事はいろいろあるが、そのうちのひとつは、なかったことにされようとしているものに光をあて、引き摺り出し、寄り添い、もう一度その声を形にすることだろう。
それはアートの特に大事な仕事のひとつだと確信する。