古い日記。しばらく鹿島茂を読んでいたようだ。
鹿島茂
集中、藤本由香里、酒井あゆみ、南智子、北原みのりと鹿島茂の5人で話している記事が、おもしろかった。
鹿島はすごい博識で、人類の性について、そうか、なるほどなあと思わせるような歴史上の知識を次々繰り出してくるが、男どうしの対話ではそれがかみ合うのに、女性たちとのこの5人の対話では、微妙にかみ合わない。
たとえば鹿島が「男はみんな」という主語で話すと、風俗嬢・文筆業の南がその言い方に対して切り返す。
僕もそこは「僕は」と言ったほうがいいんじゃないかと思ったが、その場面に象徴されるようなスタンスの違いが、全体に「微妙な噛みあわなさ」を生み出しているような気がする。
そして読んでいると、全体的に「私は」で語っている女性陣のほうが、完全に鹿島の言説を圧してるように感じる。
鹿島はあまり反論せず、ふとまた別の博識で次の話題に展開していくが、それでもやっぱり女性陣は「私は」というので、最後まであんまり噛みあわない感じがして、そこがおもしろかった。
だが、それがおもしろいのは一回きりだと思うので、今度はちゃんと「僕は」で語る男を連れてきたほうがいいと思う。笑
南が、渡辺淳一の著書『男というもの』に(某作家先生の作品として)言及し、その文章は「少ない人を抹殺している」と指摘しているのも痛快だった。
僕もそもそもそのタイトルが変だと思う。
変というか、ある意味、迷惑ですらあるだろう。
題をつけるなら、たとえば
「僕ちゃんのセックス」
のほうが、まっとうだと思う。