投げ銭ランキングに、僕自身も良記事だと思うものがランキングし始めた。
そのためにその記事を推したかったユーザーは800~1000以上のALISを投げている。
三つ並んだ下ネタ系(?)ポエムを越えるためにはそれだけの投げ銭が必要だったからだ。
(何度も言うが僕はそれらのポエムが嫌いだったわけではない。投げ銭により、一位から三位を独占するのが異様だと思っただけだ。)
そしてその際、80から100以上のALISがバーンしている。
この件についての僕の意見を述べたい。
僕はこれはユーザーの良心によってALISを健全な状態に戻そうとする試みとして、評価もし、感謝もする。
また当該記事を書いたライターにとってもよかったと祝福する。
しかし、本来、多くのユーザーが憂慮した三つの下ネタ系(?)ポエムが金銀銅に並んだ状態は、運営が直視し、自分たちの決定がもたらした結果として、改善策を講じるべきだったと思う。
僕はもともと投げ銭ランキング反対論者だが、改善策としては以下を提案してみた。
しかし、それよりも早く、ユーザーの自助努力により、(見栄えの悪さが)解決に向かったのは、一方で望ましいことであり、一方で運営の責任を不問にすることに繋がりかねないとも思う。
そもそも。
投げられた800から1000ALISは、投げ銭ランキングシステムの「失敗」の尻ぬぐいが直接の動機になっており、そうでなければ、これら古い記事の発表当時に同じだけ投げられていてもおかしくない。感動が動機であればである。
いわば運営の責任を肩代わりしており、僕もありがとうございます。ご苦労様です。といったんは言いたいが、これが根本的解決とは思わない。
むしろ、運営の術中に乗って、投げ銭合戦を展開してしまった。のだと見てしまう。
これらの新たに投げられたALISは、その行為によって新たに付く「いいね」による回収は不可能だろう。
それどころか、バーンした80から100ALISすら新たな「いいね」による回収はおそらく不可能だと思われる。
一方、バーンによりそれだけ確実にALISの価値が上がっているかというと、投げ銭ランキングが始ってから、1000単位の投げ銭がしばしば行われるようになった後も、ALISは5円台から6円台の間を行ったり来たりしていることからも、未知数である。
なぜ、運営の「投げ銭ランキング導入の失敗」をユーザーが尻ぬぐいして、運営の術中(?)にはまらなければならないのか。
それはALISへの、その価値の上昇への思いが根底にあるのかもしれない。
それ自体、悪いことではないし、余裕がある方はしてもらって、ありがたいのだが。
僕は腑に落ちない。
投げ銭ランキングは失敗でした。という明々白々な証拠はすでに過去の状態へと流れ去った。
運営はシステムの改善への圧力から、少なくともいったんは逃れた。
僕は子ども食堂をとっさに連想した。
子どもの貧困問題は政治的責任である。
しかし、子どもに無償で食事を提供する子ども食堂の活動はそれを尻ぬぐいする。
僕は子ども食堂の活動に反対ではなく、むしろ賛成である。
応急の対応としては、必要不可欠とすら思う。
しかし、願わくはそれによって、本当の責任のありかが眩まされてしまわないようにと願う。
僕は飽くまでも投げ銭ランキングの廃止または少なくとも改善という処置を望み続ける。
1000ALIS投げて推しをランキングにいれる。
そのことを競争するのは、異常事態であることを忘れないようにしたいと思う。
そしてこのシステムが改善もなく続く限り、将来的には、(今は、良心的対応でなんとか1000ALISなら出せる人も、)手の届かない高みでの資本の争いになる可能性がある。
その可能性を孕んだことが始まっているのだという自覚が必要だと思う。