この記事の
ここで
十,非武裝之集合結社絕對自由。
武装をしていない集まりや結社は絶対的に自由である。
辺野古ゲート前で集合するのは、絶対的に自由である。
ただし、私自身はあの闘い方には異論があるので、それは別記事で述べよう。
約束した件について述べよう。
琉球新報辺野古取材班の次の動画付きツイートに対して
7月8日(月)午後3時ごろ、米軍キャンプシュワブゲート前で、辺野古新基地建設に反対し座り込む市民らを機動隊が排除しました。
僕はこう返信した。
デニーは県民投票を受けた直後になぜ改めての「県民の意志を受けての撤回」をしなかったのか疑問。翁長の「反対しながら進める」の遺志を受け継いでいるからか。現場がこうなるのは想定内じゃないか。僕は辺野古も高江も車椅子で大阪から何度も行った上で発言しています。
それについては6いいねの他にひとつだけ反論として、
「埋め立て承認の撤回」のお話なら、国のなりすましが違法だという立場の県は昨年8月の承認撤回は有効だと主張しているからです。 国側が無理筋を通そうとしておかしなことをしているので、何がどうなっているのかわかりませんが、県側からすれば「撤回」は生きています。
というものが付いた。
僕の再反論はこうです。
8月撤回は要件撤回でしょう。県民投票で民意を確認したから、デニーは改めて公益撤回するべきだったと言っているのです。本当は翁長は撤回を公約にして就任直後に公益撤回をするべきでした。しかし撤回を公約にしなかったため僕がなぜ?と質問したら翁長陣営はその質問をシャドーバーンした。
要は翁長は高江も辺野古も初めから反対しながら進めるつもりだったし、デニーもその「遺志」を継いでいる。
沖縄県政は沖縄の民衆を欺く茶番である。
しかし、お上にたてつかない性根というのは、日本人も沖縄の人々も同じであって、一番大事なそこには本気で切り込まない。
日本と沖縄では、そのお上が異なるだけである。
そこを不問にしたゲート前の攻防は個々の善意は疑わないが(一部の人は本質がわかっていてるとは思うんだけど・・・)結果的には茶番の一部にしかならないのはそのためである。
僕は現地で何度もこの意見を言ったが、はぐらかせるだけなので、アホらしくなり、この運動には一切、関わらないことに決めた。