拙著『魂の螺旋ダンス』より
・ 親鸞の神祇不拝・国王不礼
さて、親鸞思想は、超越性原理において地上の権力を徹底的に相対化した。シャーマニズム的なるものも、国家宗教的なるものも、もろともに超出する立場を、鮮明に表現している。
例をあげよう。
『正像末和讃』には「かなしきかなや道俗の良時吉日えらばしめ天神地祇をあがめつつ卜占祭祀つとめとす」とある。天神(天津神)も地祇(国津神)も崇めず、卜占も祭祀にも依拠しない、ただ超越性原理だけにつながって、負の自覚において無条件に解放された個としての宣言と言えるだろう。
また『教行信証』(化身土巻)には『菩薩戒経』の引用として「出家の人の法は、国王に向かいて礼拝せず、父母に向かいて礼拝せず、六親に務えず、鬼神を礼せず」と記されている。
また『教行信証』後序には、朝廷の念仏弾圧に抗議した親鸞が「主上臣下、法に背き義に違し、(ふん)を成し怨を結ぶ」と、超越性原理としての「仏法」の下に明確な天皇制批判を行っているのが窺える。
このように見てくるとき、親鸞思想の思想史上の意義は、内面的には「負の自覚の徹底における、裸の個人の無条件の救い」という地平を開いたことと同時に、その当然の展開として社会的には「神祇不拝」「国王不礼」という立場を明らかにした事にあると言わねばならない。
歴史学者の家永三郎氏は、この点を重視し、親鸞の天皇制批判について明記した歴史教科書を執筆したが、文部省から修正が求められた。
家永氏は修正を拒否し、裁判の争点の一つになったことは記憶に新しい。
裁判は、親鸞研究を代表する歴史学者たちによる激しい論争になったが、結果として国側の論証が破綻し、家永側の勝利となった。
だが、不思議なことに、親鸞の天皇制批判を重視した教科書は、家永三郎の『新日本史』が最初で最後のものとなっている。
結果、歴史教科書において、日本仏教最大の宗派である浄土真宗の開祖の歴史的意義は、仏教の大衆化といったあたりにおかれている。
超越性宗教の誕生が意味する「内面的」「社会的」意義は、隠蔽されていると言うべきであろうか。