教育・子育て

インクルーシブ教育としての特別支援教育

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  • あび(abhisheka)
  • 2019/11/20 20:39

古い原稿です。

(1)特別支援教育の理念

    2006年春第164回国会において文部科学大臣(当時)は、日本の障害児教育は「インクルージョンの方向性にある」と答弁した。

(注  インクルージョン → 障碍のあるなしにかかわらず、個々のニーズに応える全包括的教育)
 にもかかわらず、特別支援教育の具体的な取組についての文科省の通知は、インクルージョンの方向性とは逆行する多くの問題点を含んでおり、理念は謳い文句だけとなる様相を呈している。
 そこで本稿では、その問題点を指摘し、本来のインクルーシブ教育としての特別支援教育のヴィジョンを示していきたい。
 

(2)軽度発達障害とは本当は何なのか

 現状では特別支援教育が志向している障害観、能力観は、個人にその原因を帰するものとなっている。
 その子ども個人がいかに集団生活に適応していないかをチェックし、それらの子どもを特別支援の対象とすることが行われがちである。

 正式には専門家の判断を俟つのは言うまでもないが、ここで注意しておかなければならないことは、もともと精神医学においては専門家といえども、診断名にゆれ幅があるということである。
 そのゆれ幅をできるだけ少なくしようとしたのが、DSMⅣなどの診断基準であるが、それもまた個々の人間の行動を外面から見て、チェック項目を満たせば診断が付くというものに過ぎない。
 しかもわが国で実際に診断する専門家は、様々な場面におけるその子どもの行動を総合的に観察するわけではなく、診察室で問診した内容において、診断を下してしまうのが多い。

 ここで学校教育において大きな問題なのは、学校システムそのものが問われることは一度もないことである。
 この刺激あふれる社会において、40人学級の一斉授業が6時間連続するという状況において、異常な行動が見られるからといって、それはその子の障害の問題だけに帰することができるだろうか? 

 また軽度な発達障害(観察されるのは不適応)を脳のなんらかの機能的な障害であるとするのは、専門家においても、あくまでも仮説に過ぎない。
 目に見える病態が物質的証拠として発見されたという報告は殆どない。

 例外としては明らかな自閉症においてオリーブ核がやや短いことなどが発見されていたり、(「サイエンス」論文)、ADHD等において血液内のセトロニンの分泌が多いという研究があるに過ぎない。(関西医科大学安原論文。現・安原子どもクリニック。リタリン、コンサータの処方について積極的な専門家の一人である。)

 この場合、オリーブ核が短いのは、以前より障害の範疇にあった明らかな自閉症についてである。
 セロトニンの分泌については、採取した血液中についての報告であり、脳血流関門を通った後の脳内のことについては誰にも直接確かめることができていない。

(3)

 確かに脳はとてもデリケートな器官であり、神経伝達物質がわずかに変化するだけで、意識は大きなゆれ幅で変化する。
 しかし、そのような神経伝達物質の変化を起すのは、本人の器官の障害だけに限らない。
 環境要因は非常に大きく、一瞬のうちにも大きく変化するのは、自らの知覚の変化を観察するだけでも予想できる。
 食品添加物などによって大きな影響を受けている可能性も指摘されている。(立花隆など。)

 また文化や社会の潮流によっても、その傾向性が変化していくことは十分に予想される。
 めまぐるしく変化する光の刺激である映像文化に幼いころからさらされることの影響も考慮の余地がある。

 いずれにしろ、それを個人の病理としての機能障害としてだけ片付けることには、大きな疑問が残る。
 少なくともその仮説では、【なぜ、そのような機能障害を持つ子どもが増えてきたのか】について、説明することができない。

 20年前までは授業中に立ち歩く子が殆どいなかった。
 いるとしたら、校内暴力などの学校の荒れの中での特別な現象だった。だが、今やそれは特別な現象ではなくなっている。
 それは確かに子どもたちが変わってきていることを表している。
 だが、単に個人の「病気」であるとだけですませるなら、なぜそのような病気が増加してきたのかの説明がつかないのである。

 もちろん私はそれが個人の病理であるとする側面を全面的に否定するつもりはない。
 だが、ここでは、病理学的にはそれは仮説の域にとどまらないこと、この現象の増加の原因については社会的要因を包含しなければ何の説明もつかないことを指摘したかったのである。

 そして、それが病気であれ、病気でない場合であれ、考えなければならないのは、個人に対する「治療」だけではなく、社会的なシステムの在り方、特に学校システムの問い直しに及ぶということに言及しておきたい。
 
 そしてこの「学校システムの問い直し」という真の課題を回避するときにこそ、次章に述べるようなありとあらゆる「間違った処方箋」の百花繚乱と終わりなき抗争に陥り、その間にも学校教育の危機は否応なく進行するのである。

(4)道徳教育と統合教育の位置

 学校システム自体を問い直す直すことなく、しかも「適応障害は病気ではなく、【わがまま】である」とする場合、道徳教育を強化することで、適応障害は克服できるという考えが生じる。

 この考えは熱血先生礼賛や、熱心な体育会系クラブ指導などの方向性とも結びつきやすく、常に一定の教育的価値を置かれてきた。また今後も、その価値の復権が叫ばれる可能性がある。

 一方、この方向性は、それでもやはり病理的なまでの適応障害がある場合、分離して教育しようという考えと結びつきやすい。
 自らの限界を越えてがんばり、人の道を説く「熱血先生」による学校経営と、それでも適応しない子どもに対する分離教育。

 この場合、分離を伴う特別支援教育は復古主義的「熱血教育」の「補完装置」として位置づけられる。
 もう一度大きな視点で言い換えるならば、この立場は、学校システム自体は問い直すことをせず、それを強い道徳的指導や、情熱、教員の超人的な努力などで維持し、それでもどうしても綻びる所については、特別支援教育で対応すればよいという方向性となる。

 また同じく学校システムを問い直すことなく、「適応障害は病気ではなく、【個性】である」とする場合、統合教育において、適応障害は克服できるという考えが生じる。
 「共に学び共に育つ」という理念を(それ自体は素晴らしい理念なのだが)、学校教育システムの枠組を変えないままに実践しようとしてきたのが、10年ほど前まで枚方市などで実践されてきた統合教育であった。

 だが、その実践はいくつかの理由で限界を迎えている。
 経済社会的な流れとしては、高度成長期とバブル期までは、仲間と共に幸福に近づいていくというヴィジョンが、一定程度、現実に裏打ちされた志向性となっていた。 だが、特にバブル期以降は、経済的な失速の中で、すべてはパイの奪い合いであるという考えるほかない現実が社会を覆っていると言えるだろう。
 社会や家庭の中にその考えが蔓延している限り、「共に学び共に育つ」という理念は絵に描いた餅となる。

 一方で、戦後の歴史の中で培われてきた権利意識を逆手にとって、自分の権利だけを声高に主張する人々もまた「共生感覚」を違う角度から破壊していく。

 そもそも分離を是とするものとしての特別支援教育が今、学校現場において一定の支持を得るのは、熱血教育の枠組でも、統合教育の枠組でも、これまでの取り組みの通用しない実態が、立ち現れてきているからである。

 今も熱血教育や統合教育の情熱を保持している教員は(その多くは事態のジレンマに傷つき、あまりの重荷に耐えかねて既に教職を退いているとはいえ)いるかもしれない。
 だが、彼らはまじめに考えれば考えるほど、無限の責任で自らがつぶれそうになる。
 だからこそ、子どもの実態を病気としてとらえ、別の枠組での専門的指導が必要であるという言説に飛びつきたくなるのは、教員の心理として見たとき、当然のことだと言えるだろう。
 この状況の中で、これ以上、教員の努力だけによる解決を期待することは不可能であり、どの角度から見ても理にかなっていない。

(5)インクルーシブ教育の条件整備を

 以上、分離を是とする特別支援教育、道徳教育の強化、統合教育に関する限度をこえた努力などを検証してきた。どの方向性にも難や無理があることを見てきた。

 だからといってこのまま指をくわえて見ているならば、道徳教育の強化とその補完装置としての特別支援教育という選択肢が、力を得てしまうことは想像に難くない。

 実はその時、あらかじめ見逃されてしまっている選択肢、最初から諦めてしまうようマインドコントロールされてしまっている選択肢がある。

 それは通常の学校、通常の学級をインクルーシブな教育にふさわしいものとするために徹底的に条件整備することである。実はそれは特別支援教育が、その理念を字義どおりに実践しようとするとき、必ず必要になってくることでもあるのだ。
 次にその具体的なヴィジョンをフィンランドモデルを参照に構築していきたい。

 (フィンランドモデルの原稿見当たらず。)

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10代より世界放浪。様々なグルと瞑想体験を重ねる。53歳で臨死体験。31年の教員生活を経て現在は専業作家。https://note.mu/abhisheka

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