
タイトルどおりのことを、覚えている限り計三回していかれた人がおられます。
この方は何か考えがあって皆さんにそうされているのか。
それとも僕の記事を読んで、僕の言ってることを貫くとこういうことでしょと言いたいのか。
前者なら何も言いませんが(その考えは参考に聞いてみたい)、後者なら、なんとなく違和感を感じます。
一回目は、ははは面白いやんと思ったんですが、続くうち、僕に言いたいことを、僕にメリットのない方法で表現することで、僕の言説を批判しているのかな?と思うようになりました。
たとえば、僕はウルトラセブンの「ノンマルトの使者」の真意を考察した記事に、沖縄の方から、ささやかな投げ銭があったのは嬉しかった。
額の問題ではない。
と書いたことがあります。
その投げ銭は、いいねと共に(←時間が近接していたのでたぶん)、1.1であり、過去にもよくあったことです。
これが、従来の投げ銭の世界で、もちろん、もっといただいたこともありますが、直近、千を越えて行き交う世界に変わったことなどを批判してきました。
資本参入すれば、操作支配できることも指摘してきました。
で、
このうち、額の問題ではないという言葉だけ切り取り、0.00011投げ銭して、こういうことか!?と言われると、一回目は面白いと思ったけど、
(1)いいねは伴っていないこと、
(2)この投げ方が続くこと、
で、これは、悪くとれば、言説(額の問題じゃない)の揚げ足とりにも思えてきました。
僕はミュージシャンへの投げ銭が札でなくて、その日は玉でも、、、という例は出しました。
実際、玉しか入れられなかった日もあります。
しかし、一円玉を入れたことはありません。
それは却って失礼なので、万が一どうしても100円以下しか入れられないなら、何も入れません。
財布が重いという理由で、じゃり銭処理に、投げ銭箱を利用したりもしません。
なので、僕の言説への応答なら、揚げ足とりに思えるし、
独自のポリシーがおありなら、開陳していただきたいと思いました。(^_^;)
悪意がないなら、説明していただいた方がいい気がします。
大道芸人が、1円玉はさすがに傷つくとアナウンスしているのを聞いたこともあります。
そりゃそうだなと思いました。











