ひとり暮らしの亜弓は時々部屋でひとりで話していることがある。今夜も衣装ダンスの扉の裏側に映った自分を見たとたん、我しらず話し始めた。
「あなたの気持ちは少しうれしいけど、私には無理。私には男の人を愛する能力がない。お母さんに一度も愛されたことがないから。お父さんは月に一度か二度しか帰ってこなかったから」
言いながら自分の顔をじっと見つめると、中央から焦点が定まらなくなって、鏡の中の顔が消えていく。自分の輪郭が溶けていく、この感触が亜弓は好きだった。本当は自分は存在しないと考えるのが好きだった。
「私が欲しいのはお母さんの愛。私はお母さんともっと一緒に暮らしたかった。普通に子どもとして愛されたかった。親戚の家をたらい回しにされ、結局五年生のときに施設に入れられてしまった私には子どもを愛する能力がない。だから私は子どもを産まない。だから私は結婚もしない」
鏡の中の亜弓が自分の髪の毛を掻き上げると焦点が戻り、もう三〇歳になろうとしている自分の顔が像を結んだ。やはり自分は存在している。存在することの意味などないのに存在している。
「たくさんの男たちが私の体を求めた。私に入ってきた。けれどもあいつらは、次の日には別の女を抱いていたんだし、機嫌が悪いと私を殴った。どうして私は何度も何度もそういう男を選んでしまったのだろうか。お父さんの愛を知らない私は男の人からどうやって愛されたらいいのかわからないのだ」
亜弓はバタンと衣装ケースの扉を閉めると逆向きになって、背中をもたせかけた。豪華なソファが目に入る。巨大なスクリーンのテレビ。何ひとつ不自由のないこの生活を支えているのは、妻子のある二人の男だ。
彼らはお互いの存在を知らない。自分の渡すお金で亜弓が生活していると思い込んでいた。けれども亜弓はそのうちの一人分をまるごとタンスの奥にしまっていた。完全無税の愛人手当。国民への統制を強め、奴隷化し、一円でも多くを搾り取ろうとしている今の政権も、このお金の存在は知らなかった。その累積はもうすぐ一億に達しようとしていた。
「目標の一億に達したら、そうしたら私は愛人稼業を卒業しようと思う。一億あれば大丈夫だ。不自由なく暮らしていける。夫も子どももいなくても、最後は介護してくれる人を雇える。けれども私の葬式は誰が出すんだろう。私の骨はどこに納めるんだろう。私はただ死んでいき、誰からも忘れ去られる。初めからいなかったのと同じだ」
「それでも」と言いながら、亜弓は部屋の中を歩きだした。
「それでも私は男はいらない。男はまっぴらごめんだ。子どももいらない。家族なんていらない。けれども、お母さんなら・・・お母さんなら私は欲しいかもしれない。ただひとつ欲しいものがあるとしたら、それはお母さんかもしれない。ああ、ダメだ。こんなことをひとりで声に出して話している私はきっと気が狂っている」
亜弓はスマホを手にとると、LINEアプリをクリックした。
「今、話せる?」
既読マークがつくまでに五秒しかかからなかった。私はいつでもあいつに繋がることができる。あの、今まで出会ったことのないような奇妙な男に。
「どうしたん?」
あいつのレスポンスはいつも大阪弁だ。胸に温かいものがふわっと広がる。
(ダメだ、ダメだ。男に心開き、情を移してはダメだ。男というものは私を裏切るに決まっているのだから)
そう思いながらも、亜弓の親指は神技的な速さで文字を打ち返す。
「今、通話できる?」
【予告】
彼女の望みは女性に愛されることだった。愛ゆえに彼は性転換手術を選ぼうとする。自ら性同一性障碍を偽って。・・・という具合に話は進むんですが、どうなるんでしょうね。・・・という小説です。
(参考)
男性から女性への手術 (Male to Female SRS; MTF SRS) では、精巣摘出術、陰茎切除術、造膣術(英語版)、陰核形成術、外陰部形成術がある。
生殖能力を永久的に失わせる不可逆的な手術で、本人の意志に基づくものである。他の性別としての新たな生殖機能も得られない。この手術を受ける者の多くは、すでに性ホルモンの摂取、豊胸術、などにより、自己の性別としての外観を得、そしてその性別としての実生活をしている。日本精神神経学会のガイドラインでは手術前に一定期間の性ホルモンの投与や、新しい性別での実生活経験 (real life experience; RLE) をおこなうことを重要視しており、これを条件にしている病院も多い。