拙著『魂の螺旋ダンス』改訂増補版は、人類の精神史について、ありとあらゆること?が書いてある。
旧の製本版はこれです。
その製本版が売り切れた後の改訂増補部分のそのまた一部の『臨死体験の光景』だけ読めるようにしたのが、これです。
今日、sajyanさんの記事
で、エベン・アレキザンダーの動画や、死後の世界の考察が記されていて、思い出したので、
その『臨死体験の光景』からチラ見せ部分をちょっとだけ増やします。(^0^)
(以下『臨死体験の光景』から引用)
自らの臨死体験を『プルーフ・オブ・ヘブン』という本に書き表した、アメリカの脳神経外科医にエベン・アレキザンダーがいる。彼は、蘇生の後、臨死体験中の自身のMRI画像などを精査し、このような結論に達した。
「私の脳の活動が停止していたときにこそ、私は臨死体験していた」
ここで重要なことは、人間の脳は意識を産み出すための物質的な根拠のようなものではなく、むしろ逆に広大無辺で融通無碍な覚醒を「私」という幻想に閉じ込めるための桎梏のようなものだという説のあることだ。
脳神経パターンというものが、「私」という幻想を産み出す。
そして私という幻想とともに、時間と空間という認識構造が現われる。それが「存在」の真相だ。
これは仏教の五蘊説に照応する。識と呼ばれる主体が、受想行という認識作用によって色という客体と相依相対的に同時に成立する。その五蘊説をベースにした上で、『般若心経』において、観自在菩薩はその五蘊(色受想行識)のすべてが実は空であると説いたとされている。
私たちは脳神経パターンに閉じ込められた認識構造の中に生きているのだ。
米国アリゾナ大学のスチュアート・ハメロフをはじめとする何人かの学者は「意識は脳内に量子レベルで貯蔵された情報」だと考えている。
関連して、数理物理学者のロジャー・ペンローズは、肉体が死に行く過程で、脳内のマイクロチューブル(微小管)が保持する量子情報が無限の宇宙に徐々に放出されていくと主張している。
ただし、この放出の過程の途中で蘇生した場合、量子情報はマイクロチューブルに回収され、意識を取り戻す。
この放出と回収がいわゆる臨死体験であるというのである。もし蘇生できなかった場合、放出された量子は永遠に無限の宇宙に留まる。
もっとも、私の視点では、この考え方も量子力学という学問の姿を借りた隠喩のひとつに過ぎない。