阿弥陀経に説かれる具象的な極楽のイメージは、自分の臨死体験に照らして、まったく納得がいかない。
善導が法事賛に極楽無為涅槃界というのは、ぴったりくる。
天親の浄土論や曇鸞の浄土論註もぴったりくる。
それを受けて晩年の親鸞が言っていることもぴったりくる。
それがどれほどぴったりくるか、改めてそれら祖師の言うてることを辿りたくなった。
それを辿った上で晩年の親鸞の書き物を超簡単訳したくなった。
作家としてではなく、自分のため。
彼らには臨死体験なしになぜそれがわかったのか? 念仏三昧で? 二種深信で?
ああ、大谷大学の図書館にこもりたい。これこそ、死への準備ではないか。
ごめんやけど、この星のことはもうあきらめたよ。ほんと、ごめんね。
誤解があるといけないので付け加えるけど、あきらめたと言っても、死ぬ瞬間までこの星の上にいる間、今ここを慈しむし、構造悪とも闘い続ける。
それとこれとは別だよ。
地球はいつか終わる。
それがもうすぐなんだとしても、生きる姿勢は同じだよ。