(6)その頃は、どんな風に瞑想したのですか?
高校生のとき、私が最初に試みたのは「ナダーム」と呼ばれていた瞑想でした。
それは姿勢よく座って、「ナダーム」という言葉を唱えつつづけ、ひたすら集中することによって、宇宙とひとつになろうとするものでした。
そのように集中(三昧)のために用いる特別な言葉を古くからインドではマントラ(真言)といいます。インドには様々なマントラが伝わっています。
ところが「ナダーム」というマントラは、どのような宗教的伝統にも属さないものでした。何らかの宗教的伝統につながるマントラには、その宗教の教義や思想がついてまわります。
なるべくそのような「ノイズ」を避け、ひたすら集中のためにむしろ無意味な音を用いるというのが、その瞑想法を開発したアメリカ人たちの考え方でした。そのためにわざと新しく響きのよい言葉を編み出したのです。
しかし、私はそのマントラの響きは、その頃までに知るようになっていた「AUM」という古くからのインドのマントラや「南無阿弥陀仏」という念仏の響きに、どことなく似ているなあと感じながら、その瞑想に取り組みました。