こんにちは、LOLです。
資本主義のトップの思想は、どのようなものでしょうか。きっと経営の思考になるでしょうか。そんなものを知りたいわけではなく、禅にも代表される僧の思想、というわけでもありません。
私が提案するべき思想は、一言で言えばトップダウンの追求です。
この思考をしない限り、何をしてもきっと仕事をしない、とか、ガンジーとかビルゲイツになりたいわけでもない、単純に金欲しい、というのが本音でしょう。
但し、それだけでしょうか?本当にそれだけの思考でしょうか?
私は一貫して追求するべきは孤独です。人の生み出す場やマインドに動かされて、思考のジャミングが実際に起きますので、人とは極力避けよう、としています。
人の思考性がかなり低く、それに同調しようというのが人間の特徴です。波長ともいうべきでしょうか。人と一緒にいるべきは、同波長の人間です。
波長の高さは思考のレベルの高さにも通じます。思考の波長が高いと、考えていることが物事が高い視点で物を観察する事が出来、自分で発見した価値を相手に伝えるだけの価値が生まれます。
ですから、孤独を選択します。
孤独でいることに価値が生まれる程度にレベルが違い過ぎるのでしょう。考えていることが知りたい、わけでなく、単純に話をしたい、と称して、会話していますが、着いていけているのかな、とか何も考えていない、という状態でもなく、単純にレベルを合わせてしまう。そのせいで思考が一定のレベルを維持してしまう。といった事象が起きます。
ですから、最近、人との会話は高いレベルで物を見て会話をして欲しい、と思います。私は、気づいた事を発信するだけですが、それだけだと、ブレインストーミングの価値は薄れます。その事事体が危険です。孤独で高い物から物を見る志向もそうですが、低い事に価値はあまり生まれません。低くなり過ぎるのは危険です。低い事で同調は確かにしやすくなりますが、そこからは共感は生まれます。共感を生むのは、確かにコミュニケーション能力の特徴です。しかし、高い価値の競争を生みましょう。
高い位置から物を見て、価値をどこまで各人で生み出すのか。
これが優秀な人達が行っている議論やディスカッションに代表される特徴です。
下らないことも言いましょう。言うべき事は大事です。これは共感を生み出します。波長のスイッチはギリギリまで高く持って行かないと、あまり修行にはならないのでは?と感じます。
そもそも修行をしたいと思えないと主張される人間はやまほどいらっしゃいますが、仕事の魅力は薄れていきそうで不安です。
結論、仕事の価値は思考の価値でしょう。
金銭の問題ではないでしょう。
金銭を使ってどのような事を目指しているのか。
その志向性をとことん追求しない限り、きっと自分というものは一生分かりません。
私はこれを伝えなかった理由はどん底を眺めていたいわけでもなく、単純に、自分を知らないと行動が出来ないから、修行を行っています。自分の事を伝えている場合ではなく、自分を知るために忙しかったわけです。
ですから目的を持って意志を持ち、時間を費やし、修行を重ねました。そして、得たかったものは競争じゃないんだろうか、と感じました。
しかし、そうではなかったのです。競争する事事体の無意味さではなく、競争する程度の意志を持ったまま、低次元の意志を知らなかった。そして、高次元の意志と比較を行い、新たに自分を再発見しました。
ようは本音と建前を比較したのです。
すると、就職そのものに価値が生まれました。
就職には、目に見えないだけで、価値が存在するんじゃないか。と思いました。
お金やコミュニティだけではないでしょう。
仕事の本来の価値は私が思うに、思考の高さでもありません。
仕事にどこまで集中出来るのか、という事です。
何だそれ?禅の修業みたいじゃないか、と思われますが、恐らく正しいでしょう。
集中するだけの価値があると己に言い聞かせる必要性も生まれます。
そのための己の目的を鑑みる。
データ入力を志向した理由は、単純に体力仕事が向いていないからです。体力で貢献したい、わけではなく、単純に頭脳労働が向いていそうだと思いました。自分を知るのに必要な知識や経験はまるで活きることはないでしょうけれど、きっと役にはたちます。
データを入力する事の価値は高いでしょう。
データで処理する会社にとっては高効率の利潤が生まれます。
知識のリベラル化の進んだ現代においてデータで処理しない事事体に問題があります。
ただし、どのようなデータを処理するのか、という事にも拠るでしょう。
データは単純にキーを打つだけなのか。
ソフトを使う必要性が出てくるのか。
どのようなソフトを使うのか。
ソフトの汎用性の程度により、データ入力における利潤の価値は変化します。利潤の変化、すなわち労働単価によりデータ入力の仕事の表面的な価値はどうとでもなるでしょう。
それを考慮して採用するべきなのか、どうかを勘案するのが企業に託された役割でしょう。
但し、付加価値として、仕事の本来の価値以外のものも求められます。これが会社の付加価値を高めるための必須の役割です。
そうしない限り、思考が単純化してしまいます。
集中力もそうですが、仲間と議論する知的な発想、高高度な発想や企画を行う事、下らない話題を話す事で共感を得る事、これのどれも欠けてはなりません。少なくともどれか一つ欠けていれば成長は望めないでしょう。
そのための理論です。
理論は整備するためにあります。
整備は何故するのでしょうか?
それは理解して安定を得たいからです。
当然の発想ですね。
これを考えることが修行です。
以上、LOLでした。