ぶりぶりのド素人「ぶりどす」が心に移りゆく由無事を徒然なるままに、呟きます。
古今伝授について知っているとの前提で…
時代の流れで解釈が変質することで本来の意味が曲解され、情報が継承されず消滅。
さしずめ「自己責任原則」的解釈で巷間、流布されている「情けは人の為ならず」。
これは「社会維持秩序システム」として、合理的且つ最適解。
感謝と配慮を生活規範とすることで、良い循環がエンジンとして機能。
安定したエンジンは人・社会・国、そしてソレを実践する人と関わる世界中にも
好循環が波及する。但し、一人でも「自分さえよければ」と実践の共有を放棄すれば
悪貨は良貨を駆逐するごとく、好循環システムは破綻。
脱線
既に日本は破綻淵沼に嵌って久しい(嵌ったのは大東亜敗戦からずっと見当)
※生きて虜囚の辱めを受けずと、自決を強要した政府(軍部)要人がのうのうと生きて
戦後の政治を牛耳り私欲利権で私腹を肥やした結果が、今の日本破綻危機。
廣田弘毅がいかに「清廉な日本精神」を有していたか、その最期が物語っています。
閑話休題
「天才とは1%のひらめきと99%の汗からなる」
トーマス・エジソンの言葉とされる。
これは「努力勧奨」的に解釈されがちだが、ぶりどすは違うと感じます。
思考則は、既に記したとおり二宮尊徳・上杉鷹山的な考え方が胎盤。
「1%のひらめき」とは、天の領域認識
「99%の汗」とは、人の領域認識
どれ程もの試行錯誤・仮説検証を繰り返して努力していようが
ひらめき(実現・成功への打開策)が生じなければ、天才たりえない…
ひらめきと汗をどうやって直結させるか模索、各々抜かりなく。
ぶりどすの多冊併読は潜在意識領域への情報脳入力を目的としているのは、
エジソンの言葉、二宮尊徳の言葉、上杉鷹山の言葉から。
人は天に及ばないのだから、目前の日々の作業に徹せよ、あるいは
努力すれば全てが報われる…的な解釈だと、宿命、業という観念に縛られます。
以前に示した二宮尊徳の言葉を「只管に農作業に努める」とだけ解釈するか
天の状況(凶)に工夫次第でどう対応すべきかと、解釈するのでは
人が取るべき行動、その結果もまるで違ってきます。
天才でも99%努力してるんだ!⇒努力勧奨:誰でもやればできる子
天才ゆえにひらめくのだ!⇒凡人には無し得ないという諦め
(努力の裏付積重+ひらめき)×直結=成功結果
◉どのように結び付けるか
試行錯誤・仮説検証は「ダメを詰めていく」作業
二宮尊徳、上杉鷹山のことばを、上記で解釈すると…
おまけ
エジソンも牧野富太郎も「学ぶ意欲」に正直でした。
学校に馴染めないのは仕方がない=勉強しなくていい,ではありません。
ふたりとも「自分の意欲」を最大限発揮して独学、学び続けています。
学校教育不要論・害悪論=勉強しなくてもいい、ではありません。
本質をシッカリ認識することで、人としての軸が定まります。
英雄の書、読みましたか? 以上です