2022年の1月11日はいまだに忘れることはない。しかし、毎回年の初めに考える豊富にはあることが言える。それはすべからく自分の中で決まるものだということだ。それが預金100億を達成するでもFIREを達成するでも、どこかへ行くでもすべてが自分で納得できるかどうか、そのラインを決めているのは自分になってしまっているのだ。
極端なことを言えば、志半ばかどうかは1秒で変えることができる。生きている以上何も得ていない人間はいないわけで、何も得ていないという人は、自分の目標、志、抱負の設定が何も得ていない状況になっているということだけであり、そんな状況すらも「1秒以上呼吸した」というマイルストーンは達成しているのである。
そんなくだらないことを、と思うかもしれないが、マイルストーンや目標は基本的に他人から見ればくだらないことに移る確率は常に50パーセントであり、呼吸すらも気高い目標になっている生き物はいないとは言えない。しかし、念押しでいうがこれはあくまでも確率の話である。
2022年にはここまでできた、だから2023年はここまで行こう、と決めるのは勝手きわまるものだが、それが達成できなかったからといって志半ばかどうかは本当の意味では分からない。だれかにとっては十分すぎるほど素晴らしい結果を残しているかもしれないし、誰かにとっては屁みたいな結果かもしれない。しかし、その結果をどうジャッジするかは自分次第であり、それ以上もそれ以下もない。
そう考えれば、抱負や目標というのが1秒以下でも変えられるものだということが言えよう。
さて、ここで2023年をどうやって生きていきたいか、というあまりにも大胆であいまいなテーマについて述べるとするならば、テックを再定義するということが一つ上がる。
テックの再定義というか、これまでテクノロジーとみてきた様々な技術的な総体について、より深く知りえていきたいというのが一つの抱負ではある。何かを成し遂げたいという厳密なマイルストーンがあるわけではなく、ぼんやりとした目標になっているものの、実際のところは非常にリジッドなものでもある。
例えば、量子コンピューターとはいうものの、それ以上の言葉で量子コンピューターを捉えられているのか、という話や、VRやARという言葉はそれで認識が止まってしまっている、などだ。ここで租税の知識や喧嘩のテクニックを心得ていれば、上記に述べたテクノロジーらしいイメージを帯びたワードはそれ以外の文脈からとらえられるようになる可能性が高まる。
量子コンピューターやVRが社会に役立つ存在になるまでどのくらいかかるのかはわからない上に、それ等以外のテクノロジーが身近になったときに引き出しが多ければ多いほどにそれらの言葉をいい意味で忘れていくことができる。
最後に余談ではあるが、タイという大麻を持っていても罪人にもならない国と、マレーシアとかいう大麻を持ってると罪人になった上に死刑になる国が国境を接しているのが意味わからなすぎるので何とかしてほしかったりする。