使命とは、最終的に生きがいという意味でもある。
生きがいは、鮮明に映り、なおかつぼやけていて何も見えない。
何の目的をもって生きるのかは非常に重要であり、それは何をしていてもいい。自分が世界に対して、そして世界から何を求められているのか、それに対峙し続けることが重要であると「生きがいについて」という著書では語られている。
目的の最終到達地点は、おそらく宿命や使命を理解することなのではないかと思える。とはいっても使命というのは自分の持つものではなく、世界から影響されるものも含まれる。
いずれにしても、それは不確かつあいまいで、別段クリアにする必要もなく、行雲流水のように日和ったほうがいいかもしれない一方で、考えない選択肢もないようなものであるようにも思える(両極端なものが併存しているといえる)。
人生の目的の半分は自分以外にあるが、残りの半分は自分にあったりするのかもしれない。
そして、使命というのは志であり、自分にしかわからないものでもある。志があればその途中で倒れても安らかに眠ることができる一方で、失敗や自己へのごまかしなどで先が真っ暗になった場合は、新しい生存目的を立てるだろう。そこで、自分の可能性に対して複雑な傾向を持っている人ほど、新規目的に対して柔軟に対応できるとされている。
これは、ひとつには物事にたいして、両極を据えていることが重要なのではないかといわれていたりする。
生きがいは重要だが、複雑さがそれを映し出す。そんなことが言えるのではないかなんて、考えたりする。