なぜ暗号資産に興味を持ったのか、なぜこれほどまでにYoutubeを見ていられるのかはわからないですが、それは過去の経験があったからというのが一つあります。借金が数億円ある人やホームレスで帰る家もない人が、これからどうなるのかは知りたいと思うかもしれません。しかし、一方で仮釈放なしの終身刑を言い渡されたり、死刑を待つ人々に対して同じように今後の人生を知りたいと思うでしょうか。思いません。
これは一つに運の要素があると思っています。例えば、ビジネスで成功したとか、とんでもなくひどいめにあったとかは、運が良かったか悪かったかという話です。そして、それはそうなった人が主観的に感じるものといえます。興味ないと思う人は少なからずいると思いますが、その人に興味がないのはあなたのせいではなく、単にその人が興味の一つもそそられない状態だという、運要素を交えるしかないという観点でものを見ることもできます。
資本主義社会では、一般的に成功者の定義は優秀であるとか、天才である、行動力がある、などでしょうが、それ以上に強く出てくるのが運です。もしも運がなければ、いくら行動しても成功することはないでしょう。
そう考えると、今成功していないかどうかということに対してはそこまで興味がそそられません。どちらかといえば、今の状態、今いる現在地にどうやってたどり着いたのか、のほうが興味がありますし、それが誰も言っていないような場所ならば、次の展開も知りたくなります。
例えば、BCGだけで生きていくという人は今のところあまり見たことはありません。一応フィリピンとかでアクシーが流行ったときは、ゲームだけで生きていける人がいるという認識が広がりましたが、その後の彼らの状況を知りたいと思う人は多いはずです。
一方で死刑囚は最早死ぬことがわかっているため、そしてそうなった運命にある人が多くいるため、そこまで興味がそそられにくいことになります。それは別段、死刑囚でなくても、展開が予測されるような場所にいれば同様です。
今いるとされる現在地のレアリティは人の数だけ存在し、それは端的に変えられるものではない、まさにNFTのようなものだとも言えます。つまり、人生とはすべてが代替不可能であり、それが興味をそそられようがそうではなかろうが、旅の途中だと言えるのです。