在宅勤務、それは今労働者が求めている働き方の一つである。最近の調査によれば、雇用者が求める仕事の条件として「どこからでも働けるか」と「いつでも働けるか」の2点が上がっているらしい。それは男女ともに高い比率を占めており、今後の働き方の主流になっていくとみられている。
では、そんなお金の稼ぎ方の変化が止まらずにどこまでも突き進んだら、最終的には何が待ち受けているのか。
一つ考えられるのは全作業機械化である。農業や工業、そしてインフラ整備など、外に出なければできない仕事はいくらでもある。そんな仕事を片っ端から全機械化し、すべての作業が通信の有無でできるようになれば一つ目の目標はクリアである。あと一つのいつでも働ける、というのはそこまで難しくないだろう。
ここで言いたいのは、仮に在宅勤務が主流となった場合だが、個人的にそうなる未来は来るかもしれないということだ。
会話を行いアイデアを考えアウトプットするような作業は、今後のコンピューターの発達次第でリモート化することは間違いない。そして、それらの一部は現在進行形で進んでいるように思える。
Web3をはじめとする暗号資産テック大手も、今や世界のどこにも本社を持たず、任意の場所から働いていいとしている。しかし、テスラのような企業などはこの潮流に手を放して歓迎しているわけではない。それはそうで、あの会社は「自動車製造」が主なビジネスの柱であり、これはなかなか在宅勤務にするのは難しいだろう。
ネバダ州の砂漠の中にあるギガファクトリーにいちいち足を運んで作業をする必要は少なくとも消えることはないと思ったりする。しかし、一方で今後は一生在宅でもいい仕事も生まれたのは事実である。
これはいわば人生の働き方のモデルが「通勤するか」「通勤しないか」に2分したといっても過言ではない。通勤しない人々は主にIT開発者やカスタマーサポート、士業や事務員などであり、これはさらに増えていくとみられる。そして、通勤を要するのは工場作業員や、工場作業員である。
そう、工場作業員が在宅になるのはなかなかない。なぜなら、工場があるからだ。
工場から脱却する場合、シンプルにそこを辞めなければならない。例えば最近では「歓迎されるニート」というのが話題になっている。これは、将来的な目標や夢があるニートのことで、社会からの受けはいい。しかし、そうではないニートは相変わらず昔のニート像のままである。
どちらもニートだが、目的があるかないかで扱いが変わるのは、謎である。そして、工場労働者や、職場環境に不満のあった労働者が一斉退職を決めた「コロナに伴う大退職」がアメリカで起こり、日本でも少なからずそれっぽいことが起きている。辞めた人々は、それぞれ条件のいい次の仕事を見つけるわけだが、そのなかで一度でも無職になった人々もいる。
そんな無職をニートと呼んだ時、大退職時代の一員とそうではない人々は上記のような「目的の有無」で区分けされたことはおそらく「ある」と予測できる。
上記で言いたいのは、ニート脱却を目指せということではない。客観的に今起こっているワークモデルのシフトが何をもたらすのかを予測するためである。
しかし、それは大域的な話でありいつも頭の中に「世の中は今こうなっている」ということを入れておく必要はない。結局のところ、自分の目の前で起きている現象だけに目を向けて楽しめばいいだけの話である。
最終的には、自分が望んでいたものは手に入ることはあるだろう。もしかしたらないかもしれないが、もしかしたらあるというのは事実といえる。
これからの社会を考えるうえで、働き方をめぐり深刻な価値観の分断が予測されるが、それは今ここで織り込み済みと宣言したい。ほとんどすべての問題の諸元は、簡単な現状の確認と疑念で解決することが多い。