DAOの未来について
昨今世間をにぎわせているDAO(自律分散型組織)について、いろいろな見識を集めているが、それと同時に思ったこともある。それは、これまで目指していたものへの解釈である。
私はこれまで、ある程度においてスキルを重視した行動をとってきたが、ゲームにおけるスキルとは、それそのものを好きでいられるかどうかだろう。実際そういったところでは、ゲームは以外にも、好きであることを続けるのが難しい。
よく良質な経営者ほど、ゲームにのめりこんだような没入具合で仕事するからうまくいくんだという話をすることがあるが、それはあながち間違いではない気もする。日本では、ことさらゲームに対する逆風は激しいものになっている。しかし最近思うことは、ある程度において、それはそれを引き起こしている側に問題があるのではないかということだ。
言わずもがな、人間はだれでも金を稼ぐために仕事しているだろう。しかし、その金を稼ぐ方法がゲームになったら、だれもゲームする人間を批判することはなくなるはずである、しかしそれは少数ではだめで、数億という大人数が行動を起こす必要がある。行動といってもそれは、ただゲームをするというマインドを持つことだけだが。
どちらにせよ、そういったマインドを持つか持たないかは、個々人にゆだねられており、現代の近代国家が崩壊しつつある状況においてはあまり賞賛されるものではないのかもしれない。
しかし、ゆっくりとだが確実に、日本やアメリカといった国家がその役割をある程度DAOのような自律分散的な組織にとってかわられていく未来はあり得るだろう。これは何もDAOのようなブロックチェーン基盤に成り立つものに当てはまるものではない。基本的に、「個人」が「自由」かつ「平等」に暴れまわることができる基盤が、これから出現するだろうと考えている。それはDAOがその一例になるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
といった程度の示唆である。
最近、DAOに関する記事や海外移住に関する記事を立て続けに読んでいるが、非常に面白く、何冊でも読んでいけそうである。それによると、ノマドの中でもパソコン一つをもって海外を行き来するデジタルノマドは今後増え続けるといわれている。今では日本国を出ていき海外で活躍する「在外邦人」の数はどんどん増えている。日本の様々な問題が浮き彫りになる中で、それに関する動きは非常に右肩上がりなのが現実て、それはある意味で何らかの変化の予兆であることを感じざるを得ない。
在外邦人の割合は男女比においても、女性の方が多いが、別段これは謎でもある。なぜかといえば、その女性が多いといった、女性の住んでいる国はほとんど欧州や米国などの先進国ばかりなのだ。これは何を意味するのか、非常に興味深くもあるが、基本的には西欧先進国へのあこがれや安心を求めた結果なのかもしれない。
そして、前述したデジタルノマドは、2050年までにはほとんどすべての人々がそれを経験せざる生えないと、ジャックアタリという人物は言っている。というか同時に、そのころまでには、日本や中国など「オールド国家」はGAFAやデジタルノマド、DAOなどの「ニューコモンズ」に打ち負かされているだろうと予見している。確かにそれはある意味で実現に足る想像であるとも思った。しかし、同時にその本で書かれていた続きにはこうあった。
「第二次世界大戦などの大国間の戦争は消え、21世紀は様々な事情が入り混じった局所的な超紛争がおきるだろう」
この超紛争はいわゆるアノニマスなどのハッカー組織にアルカイダなどの国際テロ組織もあるていど含まれているとされている。どちらにせよ、これらは中心を持たないアメーバのような集団で、非常にとらえにくいのが特徴である。個人的には、現代の思想はこの「中央集権」か「自律分散」かの2つに分化するだろうと考えている。もちろん中央集権の主たる国々は自律分散を促す組織とどう折り合いをつけていくかが重要になるといっている。
21世紀に関する様々な論者たちの意見はおおむね楽観的なもので一致しているが、不思議なことに悲観論じゃは過去のものにされている気がしてならない。あのビルゲイツでさえも、楽観的な「ファクトフルネス」を支持しているくらいだ。
もちろん、楽観的であることは非常に面白い未来の到来を予感させるものでもあり、すぐさま否定されるものではないかもしれないが、すこしだけ過剰な推しが最近の風潮にある気がする。人類史を振りかえれば、いささか楽観的な時代はどの世紀にもあったように思える。しかし、ほとんどの場合、そういった世界観の中で大体戦争や紛争は起きている気もする。もともと帝国主義だって、のちの犠牲を惜しむために行ったわけではないだろうが、現代の過剰な異空間への羨望もそれに近いものがあるように思える。
先は見えないが、間違いなく何らかの結末はあるだろう。それはもしかしたら、予想だにしない悲劇かもしれないし、人類を前進させる英雄譚になるかもしれない。どちらにせよ、今後どんどん日本という影は薄くなっていくだろう。しかしそれは、別段日本列島から人間が消えることを意味するものではない。まったく新しい何かが、出来上がっていくそのさまを、目にすることになるだろう。