※この記事には私見が含まれます。
21世紀に宣戦布告付きの戦闘が起きるとはだれも思ってはいなかったかもしれません。しかし、ここまで高度に情報化した時代では、それは地球の裏側で起こっていることだろうが何だろうが、たった数ミリ秒で伝わってしまいます。
ウクライナの首都の映像と、ニューヨークのタイムズスクエアを並べて俯瞰することもできる現代において、戦争の持つ意味はどのように変わっていくのでしょうか。例によると、ウクライナ軍がロシア軍の戦車を鹵獲したりすることはあるらしいのですが、これまでの戦争のステータスから見ても非常に高い割合で「戦闘以外の戦車の放棄」が増えているらしいです。
一つにこの原因にはソフトパワーの拡大があるかもしれません。端的に情報化が激しい現代においては、ハードパワーの代表である爆弾やミサイルよりも、言論や文化的側面からの攻撃は以外にも侮れないということなのでしょうか。人命が失われていく以上非常に悲しくはありますが、この戦いが今後の戦いの在り方を定義付けていることは一定以上認めざるを得ないかもしれません。
さて、話は変わって、分散型社会に向けての取り組みを紹介したいと思います。去年から分散型金融だったり、Web3だったりという言葉がやたらとメディアでタップダンスしていますが、さて、これらは誰なんでしょうか?
ツイッターの創業者は、誰とは言わず、どこだと問いましたし、その存在はまだ大手テック企業のヘッドにもなかなか理解されていない模様です。そしてそのことはもしかしたらゲーム業界や不動産業界、そして医薬品などの様々な業界に侵入していくかもしれません。
なぜそんなことがいえるのかという問いに答えるならば「分散型科学」が萌芽していると答えます。
分散型金融、通称DeFiは、様々なプロジェクトが乱交しており、既存大手テックジャイアントから優秀な人材がこぞってこの分野にコミットをかけにきている状況です。
ビットコインやイーサリアムに端を発したブロックチェーン革命はDAO(自律分散型組織)やゲームといった、いままでインセンティブの形が限定的だったものに対して、一気に地平線を広げているように思えます。とある国では暗号通貨を法廷資産にしたり、メタバースといった仮想空間に国家的なものを作ったりして、人々の空想科学読本には新しいジャンルが確立してしまいました。
そして、分散型の波は既存の不動産業界や医薬品業界にまで及んでいきます。まさにこれはコンバージェンスの始まりであり、今まさにアイデアが生まれる瞬間を目の当たりにすることができるのです。そして、私はその先に科学を超えたコミュニティの形成がグローバルで起こると考えています。
ここでは分散型科学といっていますが、「科学」というのはアプローチ的思想に過ぎないと思っています。つまりはその範囲は何でもよく、アートでも哲学ても人文科学てもなんでもありだということです。
そして、現在テクノロジーがここまで発展している社会において、そのテクノロジーが何を意味するのかを考えるにあたり、使用法という解があるのではないかと思いました。つまりは、使う側の問題が山積しているということです。ここまで科学は、自然に関する無秩序が、秩序だっていることを説明し続けてきましたが、さて、その果てにあるものは何なんでしょうか。
秩序の反対はカオスですが、自然秩序により様々な人工物が形成されていった果てには、それを処理したり、それをどうやって使っていくかという側のニーズが徐々に大きくなるのではないかと考えています。
使う側というのは、まるで猫のようにテクノロジーの絨毯の上で何かしらをする未来の人類のことだと考えています。とある日本の学者は「猫」「きのこ」「定在遊牧民」が21世紀を印象付けると話していましたが、それはまさにその通りになりそうでもあります。
猫とは、テクノロジーの絨毯の上でいろいろ実験的なことをする人々のことであり、きのことは、インターネットによるつながりを指しています。そして定在遊牧民とは、家やどこか一つの場所にいながら、世界中、ないしは宇宙にまで飛び出せるようになるという意味であり、まさにZoomなどが発展した後に来るであろうとされているメタバース世界を予見しているといえます。これは何も100年先の話をまとめたわけではなく、すでにそうなっていることを3つの単語で完結に想像させているのだと思っています。
そして、ほかの学者なども、これからはわりと「退屈な時代になる」とさえ言っていることもあり、将来は激しい大波に揺られまくるというわけではなさそうです。