第三次世界大戦、もしそれが起きた場合、明らかに世界の政治経済の秩序は様変わりすることになるでしょう。
しかし、ことを100年前にさかのぼってみると、今の状況に酷似している現象はいくつも見られています。まず2011年に起きた東日本大震災ですが、これは関東大震災が当てはまりそうですし、新型コロナウイルスはスペイン風邪、株価暴落の予兆は世界恐慌などいくつかの共通点を指摘しようと思えばできてしまうのが現状です。
何の根拠もないですが、歴史は流転するという謎の言いがかりが世の中を巡り巡って、過去に起きた二次大戦を思い起こすかの如く、第三次世界大戦という言葉もちょくちょく発見されます。しかし、その可能性はあるともいえますし、ないともいえます。
なぜ第三次世界大戦がないといえるのでしょうか。ここまでひっ迫した世界情勢の中で、第三次世界大戦がないというのは、あるということの数十倍難しいのではないか、と思うかもしれません。それはその通りで、第三次世界大戦を起こるだろうとすることはできても、その全容まではわからないのです。
しかし、その全容をあらかじめ考えることはできるでしょう。さすがに、これまで戦争を繰り返してきた人類なので、ある程度の繰り返しはするものの、新しい策を考えることも可能性としては十分にあり得ます。それは、過去の二次大戦を見ればわかります。戦艦を大量に保有していた国でも、空母の実力に敗北し、核爆弾まで落とされたのです。それはある意味で、戦術や戦略が、時代とともに変化してきたことの証拠であり、今でも同様のことが言えないとは限りません。
もしも台湾戦争が起きた場合、海上封鎖に始まり、EMPなどでの通信網の遮断、そして物資供給ルートの断絶と、段階を経て攻撃が繰り出されることは容易に想像できます。
しかし、想像できないのはその後の話です。今のロシアの話も見てわかるように、ウクライナに攻め込んだロシアが最終的に押されてしまっており、この後の展開が結構わからなくなってきています。わからないこそ最悪に備えるわけですが、その最悪は核戦争となり、いろいろとそれに関する妄想を巡らせてしまっているはずです。このように、もしも台湾戦争が起きたとしても、エスカレーションの果てに米国VS中国という構図ができたとして、何が起きるのかは核戦争になるかもしれない、以外わからないのです。
しかし恐ろしいのは、人間は別段核におびえなくても十分に死にます。これはどういうことかといえば、例えばクラスター爆弾や神風ドローン、生物兵器、AKなど核以下の兵器のことを指しており、どちらかといえばそちらが原因で死ぬ死者のほうが多くなるとみていいでしょう。
第三次世界大戦が起きたとしたら、当然のごとく世界の経済秩序は変貌するでしょう。これまで脆弱とされてきた欧州経済は世界経済の主要な部分から消え去る可能性も否定できません。そして、日本を含めるアジア経済が伸長し、アメリカ経済は今の欧州のように巨大な債務とともに沈没していくかもしれません。
しかし、歴史は読めないもので沈没していく未来が的中するのは東アジアかもしれません。
ただ、長い世界の流れから相対的に「欧州、北米、中国」の3つのプレイヤーの一角が消え去ることは否定できないと考えています。今回はその可能性が最も高いのが欧州だといいましたが、現に戦争を行った地域ではその後の将来に深刻な財務ダメージを抱えることがわかっています。
ここで、もう一つのシナリオとして東アジアの経済的転換期と、南アジア地域、およびアフリカ諸国の経済ブースト黎明期が近づいていると思うかもしれませんが、それはないと考えています。
理由は簡単で、それらの地域が経済ブーストをかけるには政治的な安定性が必要だからです。しかし、現在においてアフリカ諸国のどの国も、そしてインドはそこまで政治的なプレゼンスが高いとは言いにくく、それを根拠つける経済力もないままです。
なので、一部国連などへの影響力は高まるかもしれませんが、基本的な国際プレゼンスは変わらないとみています。
ただ、日本も日本で安全とはいいがたく、長い目で見ればわかりませんが短期的には、文字通り木っ端みじんになるでしょう。統一教会、少子高齢化、低成長などをみて、何らかの転換が行われた時が最も粉々になったシーンだと考えるのがいいでしょう。
一方で第三次世界大戦なる物騒で仁義のない、地球すらも崩壊させてしまう意味のない戦いが起きない可能性も十分にあります。なぜなら、例えば第二次世界大戦クラスの戦争は「起きてはいたが、核を使うかどうかは別問題」だからです。太平天国の乱などはとんでもない数の死者を出した戦いですが、それに核兵器が投入されたわけではありません。
第二次世界大戦はある意味で特異的な戦争であり、過去にも後にも帝国という概念同士がぶつかり合う近代兵器戦争はあれしかない、可能性もあります。では、これから起こりうる第三次世界大戦は起きないのでしょうか。
トラブルというのは、必ずどこかで何らかの形によっておこることになります。だれもそこに意義のない戦いはしたくないですし、もしそこに意義があれば理不尽があっても突っ込んでいく神風特攻隊のような存在は現れるかもしれません。
第三次世界大戦が起きないとしたら、何が起きるのでしょうか。そしてそれは過去の市民革命や清教徒革命、二度の大戦と何が同じで何が異なるのでしょうか。
私的にはそのヒントは今の社会の中にあり、テクノロジーがそれにあたると考えています。どのようなテクノロジーが今この社会にあるのか、それらをいろいろと調べつくすことで「今の変革」が見えてくるということです。
一つには、ブロックチェーンやAIがそのカギを握っているとは思います。しかし、これはあくまでもサブ的なヒントでしかないと考えています。世界経済や社会体制を変えうるポテンシャルがあるのは人々の動向であり、そこでどのようなテクノロジーが目立っていたか、そのくらいでいいということです。過去100年ほどは主に原子力テックが覇権を握っていた気もしますし、今の世にしてしまったのはITでもあります。
同じように、これからはバイオインフォマティクス、マテリアルインフォマティクスが「きっかけ」のように作用し量子コンピュータやブロックチェーン、AIによって「加速」され、最終的には核兵器的なタブーが生まれるかもしれません。
ありえないかもしれませんが、その流れによって核兵器が相対的に過小評価され「核はそこまで大したことはない、しかし危険であることには変わりはない」という認識に代わることがあるかもしれません。
何かが起きたら反応するのではなく対応する、というサンダーピチャイの言葉には、一定の裏付けがあるように思えます。