「イーロン・マスク」という名前の本がベストセラーになっている一方で、「サム・バンクマン-フリード」という名前が刻まれた本があることをご存じでしょうか。
10月に開廷したSBF氏ことサム・バンクマン-フリード元FTXCEOの裁判はクリプトカレンシーに携わりし者ならば誰でも注目しているかもしれません。
同氏の裁判はアメリカにおけるクリプトカルチャーの問題を浮き彫りにさせ、同時に暗号資産業界がより健全なものになるための足掛かりとして認識されています。
2022年11月に起こったFTX破綻は全世界に衝撃を与えました。その後のSVB銀行破綻やシルバーゲート銀行の破綻の引き金になったとも考えられ、アメリカ・テック業界に与えた衝撃は今なお忘れられることはありません。
シリコンバレーでは、とうの昔「セラノス」という企業が詐欺を行っていたとして問題になりましたが、そのCEOであったエリザベス・ホームズ氏は、しばしばSBF氏と対比されます。
しかし、彼らはどちらも同じように見えて、まったく異なる問題を浮き彫りにしました。SBF氏が巻き起こしたこのヒーロー劇は、きわめて古典的な詐欺だというのです。
「イーロン・マスク」という本では、SBFが過去OpenAIやTwitter買収の際にイーロン・マスクに声をかけていたことが描かれています。
マスク氏はのちの展開を見てどう思っているのかはわかりませんが、その時は「ブロックチェーンとX(Twitter)を融合する案には懐疑的」と述べており、弟のキンバル・マスク氏の案にも首をかしげていました。
若き天才というと、イーロン・マスク氏もSBF氏もどちらも当てはまるように思え、彼ら二人を注目し、追うジャーナリストは本当に2人存在していました。
ウォルター・アイザックソン氏はイーロン・マスクという本を出し、当人に長年付き添っていたわけですが、同じようにマイケル・ルイス氏もまた、SBF氏の天才ぶりにおぼれていた一人でもあります。彼は今年の10月に「Going Infinite」という本を出版しました。
しかし、事の顛末は明らかなように、マイケル・ルイス氏はSBF氏への見解も含めてFTX崩壊後、SBF氏の裁判に至るまで非難される身となります。
私は、相談相手になってくれる人物とこの話をした...彼は、"あなたの問題は、第三幕がないことだ。最初の二幕はあるが、第三幕がない"と言った。そして私は、"それは完全に正しい、結末をどうつけるべきか分からない"と答えた。その1週間後、FTXが爆発した。私はとてもそれに感謝したよ
マイケル・ルイス氏
暗号資産業界の破天荒な歴史を綴った伝記物はいくつか既に存在してはいるものの、例えばコインベースの「COIN - 2022 - Brian Armstrong: A Founder's Story」やネットフリックスにある「Trust No One: The Hunt for the Crypto King」などが有名である、SBF氏という暗号資産の波乱を代表するような人物のストーリーが出るのは一つターニングポイントに差し掛かっていると言ってもいいでしょう。
アメリカでは、暗号資産はすでに非常に議論されているテーマの一つでもあります。海外メディアは時折、英国や日本はアメリカよりも進んでいると評価するときもありますが、それだけ米国での暗号資産問題が深刻だったということにもなります。
ここ最近では、「DeFi市場が消滅するかもしれない」といわれるほどにかつての栄華を誇ったDeFiが綻んでいると言われています。時代はDeFiから、より利回りのいいTradFiへと移るだろうという言説です。
確かにDeFiは現状厳しい冬に直面していると言わざるを得ないでしょう。しかし、これまでのTradFiへの挑戦的な態度や、意味不明な「セックスポルノNFT」に億円単位の取引額がついたり、大量の資金洗浄、ハッキングの温床になっていたことを考えると、滅んでもいいのかもしれません。
かのテスラCEOでありスペースXの指揮官でもあるイーロン・マスク氏はSBF氏が大爆発を起こした時代と同じ時期に生きた人物でもあり、ブロックチェーンテクノロジーが何かもわかっている人物ともいえるでしょう。しかし、ドージコインが暴騰したくらいでFTTトークンのような問題に巻き込まれたわけではありません。
この違いがなぜ生まれたのかは議論の余地もないかもしれませんが、ビジョンの有無であることには疑いがないでしょう。
SBF氏は一時期暗号資産を救う救世主であったり、ヒーローのような世間的注目を浴びましたが、それはイーロン・マスク氏も同様だと言えるでしょう。前者はクリプトを、後者は人類を救おうとしているビジョンを掲げているわけですが、まだ「人類を救う」ほうがマシなヒーローなのかもしれません。
上述した「Going Infinite」は、日本語化すれば「天井知らず」のような意味になりますが、和訳されたら読んでみたいと思うばかりです。